雨 あがる。 雨あがる : DVD・ブルーレイ

雨あがる : 作品情報

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山本周五郎の小説「雨あがる」を読んだ感想。

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映画『雨あがる』を無料でフル視聴できる動画配信サービスの一覧です。 各サービスには 2週間~31日間の無料お試し期間があり、期間内の解約であれば料金は発生しません。 配信状況により無料ではない場合があります。 雨あがるの登場人物(キャスト) 三沢伊兵衛(寺尾聰) 流浪の武士。 剣の実力はあるが、どこの藩に行っても上手くいかず旅を続けている。 心優しい男性で、困っている人を見ると放っておけない。 三沢たよ(宮崎美子) 伊兵衛の妻。 夫を静かに見守り支えている。 永井和泉守重明(三船史郎) 藩の城主。 癇癪持ちだが、融通の利く性格。 伊兵衛の実力を見て、剣術指南番に勧誘する。 雨あがるのネタバレあらすじ(ストーリー解説) 映画『雨あがる』のストーリー(あらすじ)を結末・ラストまでわかりやすく簡単に解説しています。 この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。 雨あがるのあらすじ【起】 武士の三沢伊兵衛は旅の途中、豪雨により川が氾濫してしまい足止めを余儀なくされる。 宿屋では貧しい生活を送る人達が、上がらない雨にうんざりしていた。 伊兵衛は宿屋の自室に戻り、妻のたよに当分宿屋から動けない旨を伝え苦労をかけてすまないと謝罪した。 だが、たよは気にしている様子も無かった。 突然、女性が自分の米を盗まれたと言って宿屋に怒鳴り込んでくる。 伊兵衛は女性の元へ行こうとするが、たよは伊兵衛を引き留めた。 そして、皆にのけ者にされて淋しいのだと女性の心情を察した。 だが、あまりの剣幕に伊兵衛は居ても立ってもいられず、間に入り穏やかに女性を窘めた。 伊兵衛は出掛けて行き、たくさんの食糧を買って宿屋に戻った。 そして、宿屋の者達に食事を振る舞った。 久しぶりの豪華な食事に宴が始まる。 怒鳴り込んできた女性も宿屋に帰ってきた為、伊兵衛は食事を手渡して宴に呼んだ。 始めはぎくしゃくした空気だったが、皆すぐに宴を楽しんだ。 伊兵衛は部屋に戻り、たよに頭を下げた。 そして、宿屋の人達の為に賭け試合をしたことを打ち明ける。 たよは賭け試合をしないという約束を破ったことを静かに窘めるが、怒ってはいなかった。 そして、伊兵衛が持ってきた食事に笑顔を見せた。 雨あがるのあらすじ【承】 雨が上がり、伊兵衛は早朝から散歩に出掛けた。 そして、林の中に入り、刀の練習を1人静かに行った。 だが心の中は、たよに苦労をかけていることへの申し訳なさで一杯だった。 伊兵衛が林の中を進むと、男達の争う声が聞こえた。 果たし合いを行う男達の間に入り、手刀で動きを封じて刀を取り上げた。 そこに、藩の城主である永井和泉守重明が現れ、伊兵衛の見事な動きを褒めた。 伊兵衛が宿に戻ると、永井和泉守重明の部下達が待っていた。 殿の命令で伊兵衛を迎えに来たと言われ、伊兵衛は部屋へと身支度に戻る。 だが、よれよれの着物しか無い為、伊兵衛は途方に暮れていた。 たよは事情を理解しており、伊兵衛の為に着替えの着物を用意していた。 伊兵衛は着物に着替え、堂々と殿に挨拶をした。 殿は堅苦しいのが嫌いらしく、庭に出て話を聞くことになる。 そして、伊兵衛は剣術指南番の誘いを受ける。 殿は伊兵衛に興味を持っており、身の上話について問い掛けた。 伊兵衛は奥州の勘定方に勤めていたが、机に向かうのが嫌で旅に出たことを話した。 殿は伊兵衛に話しの続きを求め、路銀はどうしているのか問い掛けた。 伊兵衛は道場主との立ち合いで、打ち込んでくる前に謝ることで、いい気分になった道場主から恵んでもらっていることを嬉しそうに話した。 伊兵衛の話はさらに続き、最後の場所だと心に決めて入った江戸の道場のことを話した。 それは、殿も知る程の剣客である、辻月丹の道場だった。 伊兵衛は立ち合い中、どのタイミングで謝罪をするかを考えていた。 だが、先に辻の方が参ったと手をついた。 伊兵衛は戸惑いながら魂胆を話すと、辻は隙があるのに捉えどころがなくて困ったと笑っていた。 その後、伊兵衛は辻の元で修業を行い他の藩を渡り歩いたが、どうも上手くいかなかったと悲しそうに話した。 雨あがるのあらすじ【転】 殿は伊兵衛を夕食に招き、家老達を紹介した。 そして、指南番として伊兵衛を雇うことを話した。 家老達は戸惑い、どこの誰かも分からない者が指南番に就くことを嫌がった。 だが、殿の意思が固い為、腕前を披露する為の御膳試合を提案する。 伊兵衛はそれを承諾する。 伊兵衛はお土産を持って嬉しそうにたよの元に戻った。 そして、御膳試合をしたら剣術指南番になれると報告する。 たよは微笑みを称えて伊兵衛の話を聞いていた。 全部で3試合ある御膳試合が始まる。 伊兵衛は無駄に竹刀を打ちに行かず、相手の攻撃を避けて一瞬のスキを狙って攻撃に転じた。 そして、2試合勝利を収めたが、3試合目を担当する道場の師範が来ない。 伊兵衛の実力を見て相手役として名乗り出る者もおらず、殿自らが対戦することを決める。 しかも、竹刀ではつまらないと言って、槍を手にした。 伊兵衛は竹刀を手に互角の戦いを続ける。 だが、伊兵衛が打ち込んだ力が強く、勢い余って殿を池の中に落としてしまう。 殿は怒って去ってしまい、伊兵衛は落ち込みながら城を後にした。 伊兵衛が林を抜けて帰ろうとした時、刀を持った男達に取り囲まれる。 伊兵衛の策略に嵌り、賭け試合に負けた道場の者達だった。 伊兵衛が剣術指南番になるのが許せず、実力行使に出たのだ。 だが、10人程の男を相手にしても、伊兵衛は勝利を収めた。 雨あがるの結末・ラスト(ネタバレ) 殿は奥方に晩酌をしてもらいながら、今日あった出来事を話した。 そして、負けたのに優しくされたことに腹が立つと悔しそうにしていた。 奥方は面白そうにその話を聞き、本当に強い人は善良人でも誰かの恨みを買うものだと話した。 その意見に殿は納得する。 伊兵衛がどこに行っても上手くいかないのは、きっとそこに原因があるのだ。 伊兵衛は気落ちしたまま部屋に戻り、酒を飲ましてくれと頼んだ。 たよは何も聞かずお酒を晩酌する。 そして、宿屋に居た人達が皆、出立したことを伝えた。 伊兵衛達は貧しくも明るく優しかった客達に思いを馳せた。 そして、伊兵衛は今日の御膳試合で3勝したことを伝えた。 殿を池に落とした事で不安な部分もあったが、きっとあの殿なら雇ってくれるだろうという思いがあった。 次の日、天気は晴れだった。 伊兵衛はそわそわした気持ちで過ごしていたが、家老達がやって来る。 家老達は伊兵衛が賭け試合を行ったことを知り、指南番の話を白紙に戻したいと言ってきた。 伊兵衛は理由を話そうとするが、家老は伊兵衛の話を聞こうともしなかった。 そこに、たよがやって来て「何をしたのかではなく、何の為にしたのかが大事だ」と意見した。 伊兵衛はたよを窘めた。 たよはそれを受けて、伊兵衛に向けて話し出した。 これからは好きな時に賭け試合を行い、人々を助けて欲しいと頭を下げた。 家老は苦虫を噛み潰したような顔をして、家臣を連れて立ち去った。 伊兵衛達は町の人達の協力の元、無事に川を渡り旅へと出立した。 その頃、殿は家臣からたよの話を聞き、伊兵衛達を連れ戻すことを決める。 殿は自ら馬を走らせ、後を追いかけた。 雨あがるの感想・評価・レビュー タイトルの通りに非常に晴れやかな気持ちのする映画。 ただの人情話にとどまらずしっかりとした殺陣が味わえるのも魅力的。 寺尾と宮崎が演じる夫婦のバランスがよく、古き良き日本人という空想の中にしか存在しない理想郷を思い浮かべる。 黒沢明監督の晩年はこうした映画が作られる環境ではなかったため、こうした制作になったのだろうが、三船が演じる三沢伊兵衛はいったいどんなのだろうか。 と惜しまれる。 (男性 30代).

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人生において、人間にとって、大切なもの、・・・勝ち組・負け組と騒いでいる現代でも変わらない・・・それは弱者へのいたわり、やさしさ、思いやる心です。 この作品は、全体を通して、このことを語りかけているようです。 それは強い、強いメッセージとして発せられています。 黒澤明氏の願いでもあるかのように・・・。 浪人の武士、三沢伊兵衛が、ある藩の殿さまに気に入られ、仕官が叶うのか・・・?という物語ですが、その結末ははっきりと描かれていません。 ひとつ、評者に推測しうることは、「刀が人を切るものではなく、人の心を切る」ものならば、ラストシーンが意味するものは殿さまの心は「切られた」ということです。 すなわち、体裁によって物事の判断をするのではなく、体裁が悪くてもその内実によって判断すべきだということ、・・・その内実とは弱者をいたわる心、思いやる心、やさしさから発したものだということです。 殿さまは、伊兵衛とその妻によって、その内実の大切さに気が付かされたのではないでしょうか。 この殿さまは、弱者の声に耳を傾けることのできる良い殿さまです。 伊兵衛と妻のやさしさは、殿さまという権力者の心にも響き、その心を動かしました。 人生において大切なものは、やさしさ、思いやる心、弱者へのいたわりと言うならば、それは一見、無力なもののように思われるかもしれません。 しかし、それは大きな力を持つこともあるのだということをラストシーンは語っているように思われます。 また、日本の美しい風景と弱い立場にある人々のいたわり合いの美しさも充分に描かれ、それらもきっと胸にしみることでしょう。 とても素晴しい作品です。 ぜひ、ご覧ください。 黒澤明の次回作になるはずだった脚本を映画化したもの。 脚本を書いている最中に黒沢が死んでしまったので、生前黒沢に深く関わって世話になっていた 小泉堯史という人が、遺族の意向もあって監督をしている。 ストーリーはほんわかしていて気持ちがあたたまるような内容。 往年の黒澤映画と違って、喋りも聞こえやすい。 ただ、主人公役の寺尾聰以外の役者が本当に大根なのがキツい 殿様が特に酷いのだが、この人は三船敏郎の息子で三船史郎という人。 実際のところ絵面的な演技は悪くないのだが、声が本当に棒読み。 大御所の息子であり三船が残したプロダクションの社長ということで、誰も厳しく演技指導してこなかったのだろう。 ただ、生前黒澤明が手を加えただけあって、やはり脚本は素晴らしい。 心が温まるような内容である。 それだけに、中心人物となる殿様が棒読みなのが本当にキツい。 ある意味、演技力のためなら発声の明瞭さを簡単に犠牲にした黒沢と真逆とも言え すべてのセリフが明瞭ではっきりと聞き取れるのだが 高校生が演劇でハッキリ喋るような棒読み加減で、そこが辛い。 映像技術は黒澤明譲りといった感じで、全体的に優れている。 本来は星3だとなのだが、寺尾聰は当たり役だし、星4くらいが妥当だと思う。 観終った後、清々しい気持ちにさせてくれます。 私にとっては、疲れたときに心の穢れが洗い流されるような作品です。 お殿様、確かに大根役者なのですが、逆にそれが殿の朴訥とした人柄を表わしているように見えて私は気になりませんでした。 地味に淡々と物語が進んでいくので、メリハリ展開が好きな方には物足りなさを感じるかもしれませんが、その淡々としたところにじんわりと心に染み込んでくるものがあります。 最後まで描いていないけど、結末がわかるようになっているところがまた想像力が広がって爽やかな余韻がむずむずと心に残る感じでした。 辛口レビューもあって意外だったけど、なるほどーと思うところもありつつ、でもやっぱり細かいところは気にならないし観るたびにほっこり清々しい気持ちになるんで、私は好きな作品です。 映像はとても良いです。 また「おとのさま」の【キャラクー】もとても良いです。 あと賛否両論ありそうですが剣劇部分も割と良いです。 また表情その他も「好ましい」のですが、どうしても細やかさ等に欠け 雑…というか「舞台劇ではとても映える」演技なのですが、 映画やドラマみたいな「アップがある作品」では「大袈裟」または 「雑」に見えてしまう感じがあり、そこが惜しいところでした。 夫人が仙人クラスの寛容性があるからまだ良いですが、 そこがまた彼女の不遇さを際立たせてしまって非常に辛いところです。 『彼女だって「良い」と言ってる!』と思う人もいそうですが、 あれはもう「諦観」の域であり、そうした部分を「良さ」として 「女性に言わせている」というのも辛いところです。 あの境遇や言動を見て『ほら!彼女も認めたんだよ!』と思う人がいたら、 ご自分が主人公と似た言動をして「自分に酔っていないか」を 客観視した方が良いかもしれません。 映像美は非常に良く、「おとのさま」との立会い含めた剣劇部分も 「相手の力量が主人公の細かな動きや仕草で分かる」など、 とても良い部分や演出も多い作品です。 が、 【人情味】について、本作品の様に 「自分の大切な人の意思や境遇を犠牲にして、 自分のしたいことをする」というのはどうしても 許容しにくい部分でした。 が、大切な人を犠牲にする前提で、というのは 観ていてどうにも辛いところでした。 最後は「諦観」気味に夫人も「認め」ていましたが、 その境地に至るまでにどれほどの不遇さや辛酸をなめたかは 想像するとそれだけで切なくなる部分です。 こうした【人情味】の部分は、 1)本人が、1人だけで行う か、 2)本人と同行者、双方が同じ考えを持ち、共感し合っている 場合なら全く問題無く受け入れやすいですし、 私もどちらかなら気持ち良く鑑賞出来たと思います。 が、本作品は本人だけが『やむにやまれぬ』動機で 片方の意思や思いを踏み躙る形で行うため、 その部分が惜しい作品でした。 「おとのさま」に召し抱えられて『今度こそ』で幸せになるか、 すれ違って『今のまま』となるも(主観的には)「幸せ」のままか、 はたまた城内で再度トラブル化して『またしても』となるのか、 結末はある程度示されているとはいえ「最後」がどうなるかは分からず、 そこはある意味では良い部分でした。 「他者に幸福を与える行動」は、「自分だけが犠牲となる」ならまだ良いですが、 周りを巻き込んでいく場合は「同時に不幸を撒き散らす行動」になります。 巻き込んだ周りを幸福にするならその場合は許容されうることもあり、 【作品終盤に至った後】でなら夫婦もそうなりますが、 それまでを考えると歓迎出来る言動ではないでしょう。 この辺りも、もう少し上手に演出して、 女性側が映画開始時点で既に理解して受け入れているだとか、 「**試合をするに至る経緯」を丁寧に演出するだとか、 もう一工夫すれば一気に良くなっただけに、 どうにも惜しい作品でした。 主人公に対しても、快活に接すると同時に臣下の意見と自分の意思を折り合い付け、 面目を潰された後も冷静に他藩での「問題」の「根」を見極め、 かつ自分の意思と老臣の意見とが「対外的に問題無く見える落としどころ」を見つけ、 それでいてなお夫人の台詞で再度意見を変更する…など、 アリエナイくらいの「理想的な上司像」で描かれています。 主人公にも『ここなら』と言わせていましたし、 実際存命中であれば双方に利がある状態で良好な関係となったでしょう。 まさに「名馬はそれを見極める人物がいてこそ」を体現するキャラクターです。 また、主人公が「大切な人を犠牲にする形で、他者を幸福にする存在」なのに対して、 「おとのさま」は「大切な人(臣下)を犠牲にせず、自分の体面等も柔軟に考え、 それでいてなお有能な人物を迎え入れる方法を模索する」という、 「大切な人」「自分」「相手」の 【全員へ犠牲を強いずに幸福をもたらす存在】という<対比>は、 (意図的なのかは不明ですが)非常に面白い部分だと感じました。 主人公は「他者を幸福とする際に自分や大切な人に犠牲や我慢を強いるのが当然」 と考え、また周りにもそう考えさせるのに対して、 おとのさま側は「他者を幸福とさせるのに、自分や周りを犠牲にせずとも 上手に対応することで気遣い等の気持ちの面でも、また実利面でも、実行可能」 と動いていたのは非常に興味深い対比でした。 ある意味では主人公は「独善的」「偽善的」な存在だったのに対して、 おとのさま側はそうではなく、年下だけでなく年上の臣下(部下)からも信頼され、 また最終的な決定の過程では彼らの意見も取り入れ、決定時も総合的に判断するなど、 【感情=自分優先】な主人公に対して【理性的=全体視点】な対比も興味深いところでした。 それでいて自分の気持ちや他者への気遣いその他の「感情面も重視する」など、 <キャラクター>としてとても好ましい演出がされていました。 短気な部分すらも「正直さ」と臣下達には捉えられていそうですし、 欠点が長所になりうるという面白いキャラクターであり、 主人公側が逆に「長所が欠点となっている状態」との対比も 面白かった部分ではありました。 もしかしたら、【あえて主人公に偽善者設定をすることで、 裏の対比主人公=理想像を藩主に集約させていた】のかもしれませんが、 その辺りまで踏み込んで鑑賞すると、別の視点から面白さが出る映画でした。 もしもこれらが【盛大な<皮肉>】で、「主人公を賞賛している風で、 実際には藩主との対比で下げている=NOT賛美」とかだったら 映画としての質が非常に高い作品なのですが、 その辺りは少し気になった部分でした。

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