林家 こん ぺい。 林家つる子 公式サイト

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林家 こん ぺい

来歴・人物 [ ] 愛称は、「こんちゃん」。 本人曰く、出身地は「チャーザー村」だが、正しい読み方は「ちやざわむら()」。 に師事。 当時の初代三平はで本来ならば弟子を取れないはずだったが、を一俵担いで弟子入りにきたこん平の熱意に負けたとされる。 「こん平」の由来は、弟子入り当初はやせていて顔つきがに似ていたからだという理由と、一門でを食べていた際の、師匠初代三平の妻でこん平にとっては女将である・のひらめきによる。 二ツ目時代から『』など、テレビ・ラジオに出演。 『』()では構成作家を務める。 兄弟子のが俳優に転業した後は惣領弟子となり、初代三平が54歳の若さで死去した後は一門を統率。 この際、など三平死去の前後に起きた様々な出来事の経緯から三平の弟子たちは「落語界の孤児」とでもいうべき状態となり、結果として元々移籍組で既にだったを除く三平の全弟子がこん平の弟子として直ることになる。 かくして、分裂騒動の後遺症が長く尾を引いた落語協会の中で辛酸をなめつつも、、といった初代三平の預かり弟子や、、林家いっ平(現:)ら直弟子など数多くの弟子を育て上げ、初代三平からの系譜を受け継ぐ落語家・芸人たちを事実上の一派としてまとめ上げてきた。 実際の性格は『笑点』や高座で見せる豪胆なものではなく、繊細だった。 故に時としてストレスを紛らわすために、酒量が多くなることがあり、後述の病気の要因の一つになったとも言われている。 また、が得意なことでも知られており、『笑点』で共演すると共に「」を創設。 「世界ベテラン卓球大会」にも出場経験がある。 、当時の他の笑点メンバーである、、、、、、と共に翌日の阿波踊りに参加するべく徳島入りするため、当初予約した徳島便が大幅に遅延、さらに悪天候のため予約便が条件付き運行となった。 そこで1つ後のに搭乗して神戸から船で徳島入りに変更する案が浮上したが、こん平が「予約した便で行こう」と提案したために結局元の徳島便に搭乗し、墜落事故から逃れることができた。 徳島空港到着後、宿泊先のホテルへタクシーで移動中に同墜落事故を知ったという。 しかし、同行予定だった広告代理店の数名は当便に搭乗し犠牲となった。 闘病 [ ] 、を患い入院。 この入院は長引き、番組開始以来降板期間を除きほぼ無欠勤で出演し続けていた『笑点』も、2004年9月5日の放送を最後に初めて数回に渡って番組を休業することになり 、こん平の位置は座布団が積まれたまま空席となった。 同年12月26日の放送から、こん平の弟子で若手大喜利のメンバーだった林家たい平が代役で出演する事になる。 2005年に退院。 当初「軽いも患っていた」と週刊誌で報道されたが、その後、同年3月にの医師からと診断されていたことを公表。 退院後も通院しながらを行っている。 同年9月には笑点40周年記念本の撮影に参加し、他メンバーとは1年ぶりとなる顔合わせを実現している。 、当時こん平は趣味の卓球ができるまで回復はしたものの噺家としての復帰は当面困難という事から、同年5月の『笑点』40周年を機に番組を降板し、こん平の代役だった弟子のたい平が後任として正式メンバーに昇格。 『笑点』40周年スペシャルのエンディングでは、自身が直筆したメッセージが読まれた(歌丸が代読)。 また、同年放送の『』(日本テレビ)ではこの日のゲスト出演者だったと卓球をする姿が放送されている。 小遊三は「には毎週顔を出し、体調に合わせてプレーをしている。 1年前の復帰当時は球をラケットに当てるのがやっとの感じだったが、今ではラリーもできるようになった。 右肩上がり(の回復)だ」とコメントしている。 2009年11月8日に放送された『笑点』の追悼番組の前半部分(思い出トーク)にて5年ぶりに同番組に出演し、元気な姿を見せた。 2013年にかねてより患っていたが悪化し左足のが進み呼吸困難に陥り、緊急入院したが心肺停止の状態となった。 一命は取り留めたものの、壊死した左足の指を切断し、半年後に退院した。 退院後は自宅で家族による介護を受けた。 2014年5月、こん平の介護およびマネージメントをしていた二女の咲が「林家こん平事務所」を設立。 8月、を走る1両を借り切っての興行「都電落語会」のプロデュースを発表。 月1回開催していく予定。 同年8月22日に第一回の「都電落語会」が開催された。 2014年10月15日放送の「笑点特大号」(BS日テレ)では、「都電大喜利」で三遊亭小遊三と弟子のと共演している。 同年8月31日には『37』に出演。 2013年に糖尿病を併発し一時心肺停止まで陥っていたことが紹介され、その後遺症による左足壊死と右手の麻痺と闘いながらリハビリに取り組む姿が特集された。 メインスタジオのには二女とともにで訪れ、「1、2、3、チャラーン!」を10年ぶりに披露した。 翌年、2015年8月23日の『24時間テレビ38』にも出演。 車いすでの登場だった昨年とは異なり、笑点の舞台(現在たい平が座っている場所)に、弟子のたい平とぼたんの力を借りて登場。 正座が困難とされている中、笑点メンバーに見守られての着席となった。 MCに促されるまもなく、声を振り絞り「1、2、3、チャラーン!」を披露。 、、たい平らによるコメントの後、再度「チャラーン!」を披露し、2020年の高座復帰を目指してリハビリを継続することを明らかにした。 2016年4月17日放送の『笑点』の真打昇進披露口上において、三本締めの発声として笑点本編に12年ぶりに出演した(新真打の中に、こん平の弟子である林家ぼたんが含まれていることによるもの)。 2016年8月27日の『39』には、同年のチャリティーマラソンのランナーを務めるたい平のスターターとして登場。 直筆のメッセージが書かれたタオルをたい平に手渡し、「1、2、3、チャラーン!」の掛け声でマラソンがスタートした。 8月28日のエンディングにも出演し、武道館にゴールしたたい平を出迎えた。 2019年4月17日、病院の検査でが発見され、そのまま緊急入院。 手術は行わず投薬治療で回復し、5月3日に退院した。 略歴 [ ]• (昭和33年)3月 - 中学卒業後、に入門。 前座名「 こん平」。 (昭和37年)11月 - 二ツ目昇進。 (昭和40年)4月 - 『』()出演。 (昭和41年)5月 - 『』(日本テレビ)に第1回から出演。 (昭和44年)3月 - 『笑点』初代司会者・との対立により、こん平含むメンバー全員が降板。 (昭和47年)• 7月 - 『笑点』復帰。 9月 - 10人で真打昇進。 (平成16年)9月 - 『笑点』を休演。 12月26日放送分から弟子のが代役として出演。 (平成17年) - と診断されたことを公表。 (平成18年)5月 - 『笑点』40周年を機に大喜利メンバーの座をたい平に譲り、『笑点』を降板。 (平成19年) - リハビリを続けながらも「第26回林家三平追善興行 林家一門会」にて高座復帰。 (平成22年)3月 - 6年近い闘病・リハビリの日々を中心に半生をつづった著書をから刊行。 『笑点』ではたい平が翌月にPRした。 笑点でのキャラクター [ ] 前身番組『金曜夜席』(日本テレビ)の第3回から参加した古参レギュラーであり、同番組ではオレンジ色の色紋付を着用。 長らく隣が小難しいインテリ系のくすぐりを得意とするであるため、挨拶で楽太郎の長舌を受けて「私にはそういう難しいことはわからないんですが…」と頭を振りながらうそぶくことがしばしばあった。 地方収録の際は必ず「郷土の皆様、お懐かしゅうございます。 私の帰りのには、まだ若干の余裕がございます」と挨拶した。 この新潟出身を前面に出したキャラをやり始めた当初は、まだまだ落語と言えば、東京という固定観念の強い時代であり、東京、特に下町出身者以外がこのように郷土愛をアピールする例は稀だったため批判も多かったと著書で述べている。 田舎者の役であり、大食いキャラ・食いしん坊ネタを売りにしており、メンバーからも攻撃のネタにされていた。 『笑点』メンバーの中では一番頭の周囲が大きく、被り物に頭が入らなかったこともあった。 「大喜利」では、よく座布団運びのの悪口を言って山田に突き飛ばされたり、蹴り飛ばされたりして座布団を全部持っていかれることが多かった。 その他にネタ(「2人は肥(恋)に落ちました」など)をはじめとする下品で汚いネタも得意とし(下ネタを徹底的に嫌った、初代林家三平の意向が今も生きている林家三平一門としては珍しい特徴である)、故郷の千谷沢村はメンバーから「人がいない」「の底」などと罵倒された。 その一方、「世界平和」「環境保全」などを高らかに謳うネタや、「を施設に寄付」「の別荘」といった大金持ちキャラで回答することもあった。 政治ネタを扱う場合には、同じ新潟出身であるのモノマネをすることが多かった。 自身が休演する事になり、こん平の代役として出演し始めた弟子のたい平の事を当初は非常に心配しており、この頃は『笑点』を全く見ていなかった。 しかし、徐々にたい平が大喜利に慣れ始めると実力を認めるようになり、40周年を機に自身の席をたい平に託す事を決意した。 「チャラーン」 [ ] 挨拶の締めは、会場の観客と共に「 1・2・3、チャラーン。 こん平でーす!! 大元は『』であり、こん平が挨拶でうれしいお知らせをするときにの代わりとして歌っていたものが、歌の冒頭の「 チャラーン」の部分だけ残り、現在の形に至る。 長らくこん平単独で「チャラーン」と叫んでいたが、から観客が偶発的に呼応するようになり、最終的にはこん平と観客が大合唱する「視聴者参加型挨拶」と名づけた挨拶を行うようになった。 これ以降、隣の楽太郎や歌丸は「チャラーンをやる人は愚か者」「良識ある人は絶対にやらないでください」などと観客にお願いするという、フリのような挨拶をし、全員で「チャラーン」をやる際には二人が耳を塞いで迷惑そうに対処するのが恒例化する。 しかし、こん平の療養による休演後は楽太郎を中心に、他のメンバーも全員週替わりで「チャラーン」の代行をした。 こん平の弟子のたい平が代役を務めてからはその回数は減ったが、元日の『』フィナーレや、同年の2000回目の放送時、TeNY開局25周年を記念して、こん平の地元・で収録された同年の放送時に「師匠こん平から言われていることでありますので」とたい平が観客と共に「チャラーン」を披露。 また、「日テレアナウンサー大喜利」に定期的に出演しているは「こん平師匠直伝の視聴者参加型挨拶 最後の継承人」として、挨拶の際は必ず観客と一緒に「チャラーン」を行っている。 正蔵の弟でこん平の直弟子である2代目林家三平もメンバーになる前の(いっ平を名乗っていた頃)に番組内で行われた9代目林家正蔵襲名披露口上の席上で、師匠快癒を祈念して「チャラーン」を披露した。 一門弟子 [ ] 師匠であるの死去に伴い、ぎん平からのん平及びとんでん平が、兄弟子であるこん平の門下に移籍した。 三平の実子で父に弟子入りしていたこぶ平も含まれる。 いずれも初代三平死去時に真打には昇進していなかったため、預かり弟子となっている。 このため、こん平の直弟子はうん平およびしゅう平以降である。 直弟子 [ ]• :初代三平が存命時にこん平に弟子入りした唯一の弟子。 しゅう平以降は初代三平が死去後にこん平が初代三平の弟子(こん平から見れば弟弟子)を引き取ってから弟子入りしている。 :『笑点』では、こん平の病気療養に伴う代理として2004年12月から大喜利メンバーとなる。 師匠が着ていた着物のオレンジ色(橙色)も継承している。 こん平休演前にも『大喜利下剋上(若手大喜利)』の回答者として度々出演しており、『笑点』には長年に渡って関わっている。 師弟共演を果たしたことも何度かある。 『笑点』ではしばしば「笑点に出たいためにこん平師匠に毒を盛った」「(こん平の)治療費を一円も払っていない」などと他メンバー(主に6代目三遊亭円楽)からイジられることが多い。 (前名:いっ平。 に2代目三平襲名):師匠初代三平の次男・泰助。 初代三平の死後にこん平に入門し、直弟子になる(兄の正蔵(こぶ平)と異なり、初代三平死去当時はまだ小学生で落語家として入門していない)。 桂歌丸勇退により、2016年5月29日放送からが司会へ就任したことに伴い、後継として『笑点』の大喜利のメンバーとなった。 笑点ではBS日テレの笑点特大号を中心に寄席コーナーや若手大喜利コーナーに多数出演、都電落語企画ではこん平と師弟共演を果たした。 2007年からは姉弟子であるひらりが落語家を廃業したため、ひらりの後任で笑点の座布団運びアシスタントを務めている。 真打になった現在も続けていて、兄弟子であるたい平と2代目三平(三平は2016年から)と共演している。 初代林家三平門下より移籍 [ ]• (前名:こぶ平):師匠である初代林家三平の長男・泰孝。 弟は2代目林家三平。 :元議会議員 破門 [ ]• :2005年8月に。 現在はに改名、フリーの落語家として活動。 色物 [ ]• :落語家ではなくのため、の扱い。 両親は初代三平門下での。 - 曲独楽師。 廃業 [ ]• 林家謙信平• 林家ふく平 出演 [ ] テレビ番組 [ ]• ( - 、)- 笑点の前身番組。 (1966年 - 、日本テレビ) - 降板後は不定期出演。 (1966年 - 、日本テレビ)• (、)• (1969年、)• (、日本テレビ)• (1970年、)• (、日本テレビ)• (1972年、TBSテレビ) - 銀座4丁目交差点担当レポーター、5代目圓楽と共演• (、フジテレビ)• (日本テレビ)• (テレビ朝日)• (TBSテレビ)• (1989年4月25日、フジテレビ) - ゲスト出演(からの紹介)。 2003年に放送されたコーナー「林家こんぺいとうゲーム」では、ジングルの音声を担当。 (2000年、) - 「オチはどこにある? (探偵:)」に出演(終盤ではも座布団運びで出演)• (日本テレビ)• (、)• (日本テレビ) - (~) 構成作家担当 [ ]• (日本テレビ) テレビドラマ [ ]• (、TBSテレビ) - そば屋の息子・茂• 第101話「男殺しの二匹の牝犬」 、1971年) - 辰平• ( - 、フジテレビ) - 下っ引き金太• 第3話「呪われた錦絵美人」 (1977年、、1977年) - 口上男 ラジオ番組 [ ]• (、) CM [ ]• 二木の菓子と二木ゴルフは、弟子の9代目林家正蔵(前名こぶ平)と2代目林家三平(前名いっ平)が後継者である• 「ハイユニケット」(、前半ごろ)• 「ユーディーミニ」(、1970年代後半ごろ)• (後半ごろ)• 関西クインビーチェーン()• 新潟県• きむら食品• 「野菜ラーメン」 同じまるか食品のペヤングで、山田隆夫とがソースのCMに出演している。 映画 [ ]• (、)• (、)• (、)• (、) レコード [ ]• のヒット賞を受賞。 「コシヒカリ音頭」は後にがカバーした。 チャランポラン闘病記〜多発性硬化症との泣き笑い2000日(、) 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 主に「笑点」の司会の、5代目圓楽、歌丸がこん平をこう呼んだ。 ただしこのエピソードは脚色もあり、実際は米一俵もなかったとのこと。 本人の著書では母親から三平宅へ郵送されてきたと書かれている• 直前まで生出演していた『・チャリティー笑点』も意識が朦朧とする中で無理を押しての出演で、一部呂律が回らないなどの兆候が現れていた。 、、、、、、、、、、、、、の10名。 なお、こん平の故郷である新潟県で収録を行った2001年3月18日放送分では「村上で生まれ、チャーザー村で育った〜」と言い換えている。 元々は挨拶の冒頭で叫んでいたが、観客と合唱する頃には締めに言うようになった。 出典 [ ]• yomiDr. 読売新聞社. 2015年8月10日. 2015年8月10日閲覧。 1999年6月13日放送の『』第1669回の「私のふるさと」にて。 TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2015年8月10日閲覧。 山田隆夫『ボクに運が巡ってくる55の理由』廣済堂出版、2012年5月25日、170—173。 TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2015年8月10日閲覧。 「笑点」日本テレビ放送網 p. 18-19• 女性自身 光文社. 2015年7月24日. 2019年8月22日閲覧。 yomiDr. 読売新聞 2015年4月19日. 2019年8月22日閲覧。 nikkansports. com 日刊スポーツ新聞社. 2014年8月14日. 2019年8月22日閲覧。 デイリースポーツ online 株式会社デイリースポーツ. 2019年8月22日. 2019年8月22日閲覧。 座布団運びアシスタントはレギュラーメンバーもしくは元メンバーの弟子や弟弟子がなるパターンが殆どで、現在のレギュラーメンバーでもがレギュラーメンバー就任前に務めていた。 現在の座布団運びアシスタントもぼたん以外はの弟子で と6代目円楽の弟弟子である 、の弟子の、の弟子で好楽から見たら甥弟子であるが務めている。 そのため、現在のレギュラーメンバーで座布団運びアシスタントの誰とも師弟関係や兄弟弟子ではないのはとのみである。 、落語協会。 関連項目 [ ]• - アナウンサー大喜利で共演し、チャラーンを藤井に伝授した。 - 三平の義兄で、三平死後一門を引き継いだこん平の後見人になった。 - 長年居住していた。 - 『』にてこん平役。 外部リンク [ ]• 公式ホームページ• こん平の次女が社長を務めるイベント企画会社•

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林家こん平

林家 こん ぺい

当法人・林家こん平事務所は2014年5月22日に設立登記を致しました。 設立日は当法人の名称である、落語家・林家こん平が設立10年前に生まれて初めて病院に入院した日であります。 「芸人はTVに出なくなれば名前が消えていく」と余多の方から言われましたが、命に及ぶ危機に遭いながらも、多くの方々に支えて頂き、一般社団法人の名とともに、生き吹き返すことが出来ました。 「チンチン電車の日」である2014年8月22日(当法人理事林家こん平が倒れてから10年目)にスタートした都電落語会。 都電落語会の開催とともに、元気に快方に向かう理事・こん平の姿は弊社社団の事業理念である、文化と福祉のコラボレーションであり、笑いがもたらす免疫効果を配信しております。 これからは、個人・企業・法人の皆様に積極的に主旨ご賛同をいただき、当法人を支えて頂けましたら幸甚です。 目的 落語による「笑い」と介護講演を融合させた新しい講演会のスタイルを展開。 介護というと大変さや辛さが滲み出てしまいがちですが、全国に笑いを届けてきた元気印のこん平の介護生活はパワフルでした。 娘である私達や弟子も思わず笑ってしまうエピソードなど 鞄の中は溢れすぎてしまいました。 「既に若干の余裕もありません(笑)」 詳しくは「チャランポラン闘病記」(講談社)に記載されています。 病気で塞ぎ込みがちな患者さんや介護によってご苦労されているご家族や介護従事者の方々に夢や希望、生きる喜びなどをお届けして参ります。 笑いにによる健康促進、リハビリ効果。 講演のご依頼 件名に「介護講演依頼」と記載し、下記のメールアドレスにお送りください。 ご不明な点がございましたら、へご連絡くださいませ。 都電落語会 故郷・新潟を愛したこん平が第2の故郷・東京の地域で伝統芸能継承・地域活性化を願い、企画致しました。 都電落語会とは、2014年8月22日、チンチン電車の日よりスタートし、毎月1回都電を貸し切りにし、都電に揺られながら、伝統芸能である落語を味わう、新たな移動型の寄席です。 そしてこの企画は、TV、雑誌、新聞等のメディアにも注目をされております。 また、今までの都電落語会には、笑点でおなじみ、三遊亭小遊三師匠、荒川区の観光大使、三遊亭好楽師匠、三遊亭円楽師匠、春風亭昇太師匠、林家たい平師匠と出演をしております。 また教育の側面で子供向け落語の開催や、オリンピック・パラリンピックに向けて外国人向けの英語落語なども行いました。 また、この8月22日は奇しくも10年前にこん平が倒れた日でもあります。 現在も闘病の中、毎月この都電落語会にも乗車し、回数を経ることに快方に向かっております。 そしてこの都電落語会からパラリンピックへとの目標で、闘病されている方々やご家族の皆様にも、勇気や希望を送っていければと願っております。 都電荒川線沿線4区地域活性化協議会(荒川区、北区、豊島区、新宿区、東京都交通局)の協力名義を頂戴し、開催している都電落語会を新たな観光名物としてお引き立てください。 また、この地域活性化にご賛同し、ご協賛やイベント運営にご協力をして頂ける個人、法人企業様も募っております。 詳しくはコチラを御覧ください。 文化庁 「日本博」イノベーション型プロジェクト.

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落語の林家についてです結局今の林家一門て誰が一番偉いんです...

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詳しくは 2020年06月01日 YouTube始めました!! たい平がYouTubeを始めました!! 家で過ごすお楽しみの一つに加えてください。 是非、チャンネル登録よろしくお願いいたします!!! 2020年06月01日 「青雲の歌」歌ってます! 日本香堂さんの「青雲の歌」が10年ぶりにリニューアル。 なんと、たい平が歌わせていただくことになりました! 世界的マエストロの山田和樹さんの指揮のもと、 日本フィルハーモニー交響楽団の演奏。 杉並公会堂を貸切の超豪華なレコーディング。 4月からの放送されております。 その前に、レコーディングを収録したドキュメンタリー動画が YouTubeで公開されています! <ロングバージョン> <ショートバージョン> 2020年06月01日 「秩父 たい平カレー」好評販売中!! たい平のレトルトカレーができました!! 出汁の効いたカレーです。 ご飯はもちろん麺にかけても美味しくいただけます。 是非、お召し上がりくださいませ!! ご好評につき、販売店が増えました!! でも販売始まりました! 「秩父 たい平カレー」 500円(税込) 0494-25-0088 0494-21-2266 0494-54-0022 0494-24-2138 0494-22-7111 0494-22-2000 0494-23-3611 0494-77-1188 0494-77-1234 秩父酒販協同組合加盟店(一部を除く) などでも、お買い求めいただけます。 都内では、の 伝法院店(浅草)03-3841-6001 も行っております。 日テレ屋(・) で、お取り扱いしております。

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