終戦 何年。 終戦75年企画展「アノ日、空ノ下デ君ハ何ヲ想フ」

72年前のきょうの新聞を読む 終戦についてどう社説で伝えたのか

終戦 何年

抑々(そもそも)帝国臣民ノ康寧(こうねい)ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ 皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサ(ざ)ル所 曩(さき)ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦 実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾(しよき)スルニ出(い)テ(で) 他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ(が)如キハ固(もと)ヨリ朕カ(が)志ニアラス(ず) 然(しか)ルニ交戰已ニ四歳(しさい)ヲ閲(けみ)シ 朕カ(が)陸海将兵ノ勇戦 朕カ(が)百僚有司ノ励精 朕カ(が)一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘(かかわ)ラス(ず) 戦局必ス(ず)シモ好転セス(ず)世界ノ大勢亦我ニ利アラス(ず) 加之(しかのみならず)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ(ぶ)所(ところ) 真(しん)ニ測ルヘカラサ(ざ)ルニ至ル 而(しかも)モ尚(なお)交戦ヲ継続セムカ 終(つい)ニ我カ(が)民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス(ず) 延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却(はきやく)スヘ(べ)シ 斯クノ如クムハ(ごとくんば)朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保(ほ)シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ 是レ朕カ(が)帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セ(ぜ)シムルニ至レル所以ナリ 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ 忠良ナル爾臣民ノ赤誠(せきせい)ニ信倚(しんい)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ 若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端(じたん)ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱(みだ)リ 為ニ大道(だいどう)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ(が)如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜(よろ)シク挙国一家子孫相伝へ 確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ) 任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコトヲ期スヘ(べ)シ 爾臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ そもそも帝国国民の健全を図り、万邦共栄の楽しみを共にするは、天照大神、神武天皇はじめ歴代天皇が遺された範であり、朕は常々心掛けている。 先に米英二国に宣戦した理由もまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを切に願うことから出たもので、他国の主権を否定して領土を侵すようなことはもとより朕の志にあらず。 しかるに交戦すでに四年を経ており、朕が陸海将兵の勇戦、朕が官僚官吏の精勤、朕が一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くすにかかわらず、戦局は必ずしも好転せず世界の大勢もまた我に有利ではない。 こればかりか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、多くの罪なき民を殺傷しており、惨害どこまで及ぶかは実に測り知れない事態となった。 しかもなお交戦を続けるというのか。 それは我が民族の滅亡をきたすのみならず、ひいては人類の文明をも破滅させるはずである。 そうなってしまえば朕はどのようにして一億国民の子孫を保ち、皇祖・皇宗の神霊に詫びるのか。 これが帝国政府をして共同宣言に応じさせるに至ったゆえんである。 玉音放送を聞いて炎天下にもかかわらず、皇居前で天皇陛下に向かって泣きながら額づく人々 顧るに開戦以降遠く骨(こつ)を異域に暴(さら)せるの将兵其の数を知らず。 本土の被害無辜(むこ)の犠牲亦茲(ここ)に極まる。 思ふて此に至れば痛憤限りなし。 然るに戦争の目的を実現するに由なく、戦勢亦必ずしも利あらず。 遂に科学史上未曾有の破壞力を有する新爆弾の用ひらるるに至りて戦争の仕法(しほう)を一変せしめ、次いで「ソ」聯邦は去る九日帝国に宣戦を布告し、帝国は正に未曾有の難関(註2)に逢著(ほうちやく)したり。 聖徳の宏大無辺なる世界の和平と臣民の康寧とを(註3)冀(こいねが)はせ給ひ、茲に畏くも大詔(たいしよう)を渙発(かんぱつ)せらる。 聖断既に下る。 赤子(せきし)の率由(りつゆう)すべき方(ほう)途(と)は自ら明かなり。 空襲で廃墟となった自宅跡に正座して、拾い集めて作ったラジオから玉音放送を聞く人々.

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【戦後70年】1945年8月15日、人々はどう受け止め、何を思ったか。当時の日記から終戦を追体験

終戦 何年

一般的によく知られる8月15日、降伏文書への署名が行われ発効した9月2日、あるいは占領統治が終了した1952年4月28日をもって本当の終戦とすべきだという情報が見られた。 終戦の日について記述のあった、以下の資料を紹介した。 『八月十五日の神話:終戦記念日のメディア学』(佐藤卓己著 筑摩書房 2005) 8月15日が終戦の日となっている理由について「玉音写真」、新聞の終戦報道、歴史教科書などを取り上げて、終戦の日について検討している。 歴史教科書の記述に関して1章を費やして論述している。 『日本人はなぜ終戦の日付をまちがえたのか』(色摩力夫著 黙出版 2000) p14-15に、8月15日に玉音放送を聞いた多くの日本国民がこの日を以て終戦と考えたことについて「個々人の心情としては理解できなくもない」との記述あり。 国際法的解釈としては「終戦の日」とされるべきは「降伏文書への署名が行われ直ちに発効した9月2日にほかならない。 」と記述あり。 『あの戦争は何だったのか:大人のための歴史教科書』(保阪正康著 新潮社 2005) p229-235「太平洋戦争はいつ終わったか?」の項あり。 (「第5章 8月15日は「終戦記念日」ではない」) 「「戦争が終わった日」は、8月15日ではない。 ミズーリ号上で「降伏文書」に正式調印した9月2日がそうである。 いってみれば8月15日は、単に日本が「まーけた!」といっただけにすぎない日なのだ。 」とあり。 『戦後日本のメディア・イベント:1945-1960年』(津金澤聰廣編著 世界思想社 2002) p72-93「第4章 降伏記念日から終戦記念日へ」の章あり。 「終戦とは何か」の項で「終戦後18年もたった63年5月14日に閣議決定された「全国戦没者追悼式実施要項」、さらに82年4月13日に閣議決定された「戦没者を追悼し平和を祈念する日」制定によって終戦記念日は「設定」された。 」とあり。 この他に、〈8月15日=終戦〉と記憶されたプロセスについて記述あり。 濤川栄太著「昭和20年8月15日は終戦の日にあらず(「新しい歴史教科書をつくる会」第4回シンポジウム 虚構の歴史認識を正した4時間! )」(『正論 313』p297-302 産経新聞社 1998. 9) p301「私は、昭和20年8月15日が戦争終結とは思えない。 戦闘状態が終結した日、それが20年8月15日。 本当に戦争が終結したのは27年4月28日、サンフランシスコ条約で日本が独立した日、国家主権を回復した日であると定義したい。 」とあり。 根拠・詳細等については特に記載なし。 回答プロセス Answering process.

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昭和22年って西暦何年ですか?

終戦 何年

朝日は、日本国民のためを思ってポツダム宣言を受諾するに至ったとする終戦の勅書の言葉に「哭するの情に堪へない」と悲しみを表現し、「並々ならぬ苦難の時代」が何年も続くとした。 しかし次のように、明るい未来は待っているとも書いた。 挙国一家、国体の護持を計り、神州の不滅を信ずると共に、内に潜熱を蔵しつつ、冷静以て事に当るならば、苦難の彼方に洋々たる前途が開け行くのである。 また、太平洋戦争である「大東亜戦争」は間違っていなかったとして、戦争の収穫である「大東亜宣言の真髄」と「特攻隊精神の発揮」を今後に生かしていくべきだとした。 被抑圧民族の解放、搾取なく隷従なき民族国家の再建を目指した大東亜宣言の真髄も、また我国軍独自の特攻隊精神の発揮も、ともに大東亜戦争の経過中における栄誉ある収穫といふべきであり、これらの精神こそは大戦の結果の如何にかかはらず双つながら、永遠に特筆せらるべき我が国民性の美果としなければならない。 かくてこれらの精神が新なる国際情勢と新なる国内態勢との下に、新装をもって生成し行くとき、未来は終に我らのものといつてよい。 そして、改めて終戦の勅書への思いを述べ、昭和天皇と神々に対して「申訳なさで一ぱいである」とした。 あるはただ自省自責、自粛自戒の念慮のみである。 君国の直面する新事態について同胞相哭し、そして大君と天地神明とに対する申訳なさで一ぱいである。 一億同胞の新なる勇気も努力も、ともにこの反省と悔悟とを越えて生れ出るものでなければならない。 毎日は、戦争で命を捧げた兵士たちへの感謝を述べ、戦争に負けた責任について言及。 だが、敗戦の理由と原因を探ることも、責任について論じることもすべきではないとした。 戦ひ続けた結果は今日の事態となつた。 そのことに至つた理由と原因とを探究すれば、実に無数の理由と原因とが指摘されるであろうし、また大なるものと小なるものの指摘されることも可能であらう。 しかしわれ等はこの際において責任論など試みようとは思はない。 さうすべく自身の不肖を意識すること余りに強く、邦家の不幸から受ける悲しみは余りにも深いからである。 そして、過去を教訓にして未来に向かって進むようにと訴え、奥ゆかしさと労わり合う温かい心を持って「新しい生活」を迎えるようにと綴った。 更生の能力ある大民族はその試練を経て新しい運命を開拓するのである。 然らば、道義の基礎の上に強大日本を建設することに失敗した日本民族は、いづれの方向に進むべきであるか。 道義の基礎の上に真に強靭にして清浄な日本を建設することに向かつて進むのみである。 日本国民は再び血と涙と汗とをもつて長い道程を踏破することを今日只今覚悟せねばならぬ。 悲しみの中の大幸は皇室の御安泰である。 国民は恭敬もつて皇室を戴き如何なる悲境に陥るも精神的に崩壊することなき大国民の奥ゆかしさと、同胞互に劬はり合ふ温かい心をもつて、新しい生活に入らねばならぬ。 毎日は「乱れんとする心境」とこの時の気持ちを表した。 両紙ともに、混乱しながら社説を書いたことが読み取れる。 この日の両紙の社説には、国民を煽り続けた反省も戦争を否定する言葉もない。 しかし、新聞記者たちはその後、その反省を胸に再スタートを切った。

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