槍玉 に 挙げる 語源。 【槍玉に挙げる】の意味と使い方の例文

防火に関係するものに由来する言葉は?|ことば検定1月18日

槍玉 に 挙げる 語源

そう良く分かったわね。 後で役に立つように内容のあるノートができて、かっこいいノートだと思うわ。 「山高きが故に貴からず」の例文• 新社屋(しんしゃおく)は完成しましたがこれはまだ始まりです。 山高きが故に貴からずといいます、これからが正念場です。 立派な人には見えるが、話を伺(うかが)うと 山高きが故に貴からず、どうも違和感があります。 書かれている趣旨は正論だと思います。 しかしながら、 山高きが故に貴からずともいいますのでこれからの活動に注目してまいります。 山高きが故に貴からずです。 しっかりと精進(しょうじん)してご期待に沿うよう頑張ります。 まとめ 頭では分かっていても立派な体格、服装が決まっていて、その時の立ち居振る舞いが良ければ、それでその人のことを判断してしまいます。 少なくとも第一印象はそれが大きく影響するのは間違いありません。 実語教につづく句を読むと、 山高きが故に貴からずではここでいう一時的な外見ではなく、また、知恵のみならずその人の人間性も指し示しているのだと感じました。

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【山高きが故に貴からず】の意味と使い方の例文(語源由来・類義語・英語訳)

槍玉 に 挙げる 語源

「今回の騒動では、責任者である〇〇氏が槍玉にあげられる結果になりました。 」 TVのニュースの中で流れてきたこの言葉。 家事をしながらふと、耳に入ってきたため、前後の話の内容がわからず、 「槍玉にあげる」という部分だけが異様に頭に残ってしまいました。 前後の話の流れがわかっていればなんとなく言葉の理解もできたのかもしれませんが、この部分だけでは全く意味がわからず、頭の中には「?」ばかり… そこで今回は 槍玉にあげるの意味や、言葉の由来について調べてみました! 調べてみて分かったのですが、出来ることならあまり使いたくない言葉かもしれません… 実際には使いたくはない言葉ですが、言葉の意味を知っておくことはあなたにとってプラスになると思うので、ぜひ読んでみてください。 スポンサーリンク 槍玉にあげるの語源とは? 槍玉にあげるは、 人を槍で突き刺し、そのまま高く掲げ手玉のように操る様子に由来しています。 その状況が転じて、大勢の中から選び出して責め立てるという意味になったのです。 ちなみに、「槍玉」とは、槍を手玉のように自在に扱う様子を意味しています。 「手玉」とは「お手玉」のことで、「槍」をお手玉のように扱うってどんな状態? 実は、戦が日常的に行われていた時代、敵の武将を仕留めれば戦に勝ったも同然。 敵将を仕留めたことを周りに知らしめるために、その武将を槍で刺したまま高く掲げました。 さらにはその状態から放り投げ、別の人がまた槍で刺し高く掲げる様を表しています。 かなり残酷な状況ですよね… その状況から 「高くつき上げる」様子が転じて「槍玉をあげる」という言葉がうまれました。 そんな状況からうまれた「槍玉をあげる」という言葉もそれだけ残酷な状況を意味しているということになるわけです。 非難の対象になってしまった側が、この表現を使う時には「槍玉にあげられた」という風に使われます。 槍玉にあげるの使い方・例文! 「槍玉をあげる」の言葉の意味と語源がわかると、そう簡単に使ってよい言葉ではないような気がしますね。 ましてや使い方を間違えてしまうと、 相手に対して不快感を与えてしまうこともあるので注意して使う必要があります。 それでは、「槍玉にあげる」の正しい使い方についてみていきましょう。 「今回の建設現場での事故に関しては、現場責任者が槍玉にあげられた。 」 建設中の建物の足場の一部が歩行者に落下し、重体に陥るという事故が発生した。 現場にいた作業員は複数名おり、さらに落下した足場を組んだ担当者はその日は不在であった。 警察からの事情聴取に始まり、被害者側への謝罪などすべてを現場責任者が行うこととなり、マスコミに取り上げられ多くの非難を受ける結果となった。 「市民は再開発の予算問題の不透明さに対して、市長を槍玉にあげた」 昔からある市内の商店街も今ではシャッターの閉まった店舗の方が多い状態になってしまった。 市は商店街に再び賑やかさを取り戻そうと再開発を計画している。 しかし、その予算案の内容に不透明さが多く、市民の納得できるものではなかった。 市民の声を受け、市長が説明会を行ったが市民の納得を得るどころか、市長に対する不信感は拭えず、抗議の声しか上がらなかった。 市長が何を言おうとも、市民からの反対意見は絶えず、総攻撃を受けることとなった。 挙句の果てに、市長になる前の女性関係が浮き上がるなどし、市長は辞任を余儀なくされたしまった。 スポンサーリンク さいごに いかがでしたか? 「槍玉にあげる」の意味や語源についてご紹介しましたが、この言葉は知れば知るほどとても恐ろしい言葉であることが理解できますね。 どんな地位にいた方であっても、一度槍玉にあげられてしまうと再びその位置に戻ることはかなり厳しいものになりそうです。 「槍玉にあげる」と同じ意味をもつ言葉には、 「袋叩きにする」「つるし上げる」「滅多打ちにする」などがあります。 どの言葉にしても自分がその立場になると考えたら恐ろしいですよね。 よほどのことをしてしまわない限り、あなたが「槍玉にあげられる」ことはないとは思いますが、何が起きるのかわからない時代です。 「槍玉にあがる」人生にならないようにしたいものですね。 関連記事 一部広告含む•

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「さようなら」の語源と由来

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「先生、さようなら。 みなさん、さようなら」 子どもの頃、帰りのあいさつで元気よく言っていた言葉です。 小学生に上がると日常生活で「さようなら」を使う頻度はぐっと減り、私が今、目にしたり耳にするのは、本のタイトルや歌、少し古い作品の登場人物のセリフにとどまります。 個人的に「さようなら」は 「二度と会えない」感じを覚えるのですが、いかがでしょうか? 今回は、「さようなら」の語源と由来をご紹介します。 さようならの語源 まずは、「さようなら」を辞書で引いてみましょう。 さようなら【左様なら】さヤウ- 一、 (接)それなら。 それでは。 二、 (感)別れのあいさつに用いる語。 さよなら。 大辞泉より さよう-なら サヤウ- (感)別れるときのあいさつのことば。 さよなら。 [語源]「然様(さよう)ならば(=それでは)これにて御免」のような言い方から。 明鏡国語辞典より 「別れるときのあいさつことば」という意味と共に、語源まで載っています。 接続語である「さようならば」の「ば」が略されてあいさつ言葉になったのですね。 大辞泉にあるように「さようなら」の接続語の意味は「それなら」「それでは」です。 「それなら、また明日」「それでは、お元気で」など、本来であれば、後に続く言葉が肝心の別れの言葉であるはずなのに、そちらを省略するのが日本語らしいといいますか……。 同一コミュニティにおける共通認識の上に成り立つ文化、空気を読む文化が色濃く出ている気がします。 しかも、類語例解辞典を紐解くと、「さようなら」の使い分けにこんな説明が載っています。 「さようなら」は、別れの挨拶として相手の身分や地位、年齢にかかわりなく一般的に広く使われる。 「さよなら」ともいうが、この場合は目上には使わない。 また、「ここでさようならしましょう」「いよいよ今日で独身生活ともさようならだ」のように、別れることの意でも用いる。 相手の身分や地位、年齢にかかわりなく広く使われる別れの挨拶の代表が「さようなら」なのです。 ワタシ、「さようなら」! 出身、接続語。 後に続く言葉は空気を読んでね! そういえば、こんな話を聞いたことがあります。 今から挙げるシチュエーションは絶対にあり得ないことですが、もし万が一、我々が天皇陛下とお食事を共にする機会があった場合。 目の前のお料理に、私はどうしてもお醤油がかけたい。 でも、そのお醤油は陛下のごく近くにある。 陛下にお取りいただくなんてあり得ない。 そもそもなんとお声掛けして頼めばよいのか。 正解は、ごく小声で 「お醤油……」とつぶやくこと。 そして、自発的に気付いていただくこと。 空気を読んでいただくこと。 敬語とはなんなのか考えさせられます。 さようなら、ごきげんよう 「さようなら」の元の形について、『日本のこころの教育』(境野勝悟著)には、 「こんにちは、お元気ですか?」 「はい、おかげさまで元気です」 「さようなら、ごきげんよう」 これが日本人のあいさつの基本なのである。 と、あります。 なんでも、江戸時代までは「さらば、ごきげんよろしう」や「さようなら、ごきげんよう」と全部を言っていたものが、明治以降、男性が「さようなら」、女性が「ごきげんよう」と言いわけるようになり、ついに昭和には、女性のほとんども「ごきげんよう」は言わないで、「さようなら」を言って別れるようになってしまったとか。 時代を経るごとに、一つのあいさつの言葉が分かれ、独立した言葉として使われるようになり、平成の今はその頻度が減っていってしまっている「さようなら」。 冒頭に私が挙げた「二度と会えない」感じは、もしかしたら 繰り返し聞いた歌や、物語の中で使われるシチュエーションによって植え付けられてしまった印象なのかもしれません。 また、身分や地位、年齢に関係なく使える言葉だからこそ、敬語を使う際に似た心の距離感を覚えてしまい使い辛いのかなあ、とも。 「さよなら、またね!」など、後に言葉を付け加えると「会えない」感はぐっと和らぐので、これをきっかけに色々な言葉と組み合わせて使ってみたいと思います。 おまけのお話 別れの挨拶は「さようなら」だけではありませんよね? 個人的に気になった「さらば」と「あばよ」の由来もついでに調べてみました。 さらばの語源 「さらば」は「さようなら」よりも古い言葉です。 現在では 「さらば、友よ!」など、たまにふざけて使うことがあったり、なかったり。 「さらば」の「さら」は、そのようだの意の動詞「さり(然り)」の未然形で、「ば」は仮定を表す接続助詞。 元は、「そうであるならば」という意味なので、「さようなら」と同じ由来を持つ言葉です。 あばよの語源 「あばよ」は別れ言葉の中でもかなり使う頻度が低い言葉です。 私はこの言葉に、負け犬感というか、小物感がただよう捨て台詞な印象を受けます。 なんででしょう? 笑 「あばよ」の語源は諸説あって、そのいくつかをご紹介。 「さらばよ」の略。 「また逢はばや(またあはばや)」が転じたもの。 「按配よう(あんばいよう)」の略。 一番有力なのは3. の「按配よう」の略という説で、そもそも「按配」が「体調」の意味で使われ出したのが近世で、「あばよ」も近世から使われているからだとか。 個人的には「また逢はばや(またあはばや)」説を押したいです。

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