ご 冥福 を お祈り し ます の 意味。 ご冥福とお悔やみ ご愁傷の違いは?宗教上の適切な使い分けは?

「ご冥福お祈りします」 「お悔やみ申しあげます」「ご愁傷様です」の違いは?意味と使い方もわかりやすく解説

ご 冥福 を お祈り し ます の 意味

概要 [ ] 死者が行く先である冥界での幸福を冥福と言う。 あるいは、その幸福を祈るために行う仏事も冥福という。 死者の幸福、仏事に関しては、『』・坤巻・知事清規「冥福を修むに以つて、亡者を薦す(修冥福以薦亡者)」の一文。 『列伝』、崔挺「を起こし、冥福を追奉す」の一文。 『』「勅して仏事を知恩院に修し彼我戦死者の冥福を薦す」の一文などが挙げられる。 しかし、異なる意味で冥福という言葉が使われる場合もあった。 第1に、隠れた(例えば、前世での)徳行を起因とする幸福、隠功も冥福と呼ばれることがあった。 『』・下巻の「毎に国家のために、先ず冥福を廻らす(毎為国家先廻冥福)」の一文など。 第2に、理解しがたい何かによってもたらされる幸福を冥福と呼ぶこともあった。 『』 3・12 「彼人さては如意輪の国土の災患を廃し、村人の冥福を示し給へるなると貫く念ひ奉り」の一文。 事典によっては、仏や菩薩による加護などを、内々に受けている冥利(冥益、冥応、冥鑑、冥助)を、冥福と関連するものと位置づけている。 タブー [ ] 弔意を表すことばとして、「冥福を祈る」「ご冥福をお祈りします」などが一般には用いられている。 しかしながら「冥」という字は、冥利のように「うかがい知れない何か」という意味であるが、日が暮れて非常に暗くなったこと、ものがはっきりと見えなくなったこと、瞑(目をつぶる)とよく似ていることから切ない死後の世界を連想させるため、避けるべきとする考えもある。 いくつかの、あるいはでは、「冥福」の必要は無いとされている。 例えば、のうちの一部の教派は、死後確実に神のいる天国に行くと考えている。 またこれらの教派ではでいうや、陰府、冥府、など呼ばれた死後の世界は想定していない。 仏教の一宗派であるでは、阿弥陀如来のにより極楽浄土へと導かれるため不要とされている。 あるいは、信心不足や死者の迷いを指摘する言葉であり不適切とする考えがある。 これらに対する無難な言葉として「心から哀悼の意を表します」などがあげられる。 脚注 [ ]• 中村元, 田村芳朗, 末木文美士, 福永光司, 今野達『岩波仏教辞典 第2版 』岩波書店、1989年。 須藤隆仙『仏教用語事典』、1993年。 『日本仏教語辞典』、1988年5月、• - 國學院大學研究開発推進センター.

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「ご冥福をお祈りします」を使ってはいけない場面や正しい意味を徹底解説!

ご 冥福 を お祈り し ます の 意味

「ご冥福をお祈りします」とは「死後の幸福をお祈りします」「冥土で彷徨った後、良い場所に辿り着けることを祈っています」という意味です。 これは故人に使う言葉であり、遺族には使いません。 遺族に対しては、故人に対しての気持ちが伝わるようにしましょう。 その例として、「この度は、誠にご愁傷様でございます。 「福」は「福を招く」や「福を呼ぶ」といった言葉があるように、「運の良い事」「幸せ」の意味が込められています。 「冥土」は「人が死んだ後に行く世界」を表しています。 冥土では故人の生前の生き方で、次の転生場所を表しています。 上記の二つを合わせて、「冥福」という言葉ができ、それを祈っているという意味でさらに「ご冥福をお祈りします」という言葉になります。 お悔やみをメールで伝える場合 メールにて訃報の連絡を受けて、「ご冥福をお祈りします」とメールで伝えても良いのか、またどのような文面にすれば良いのかと迷う場合があるでしょう。 お悔やみの言葉は直接会って伝えるのが一般的ですが、直接伝えられない場合はメールや電話で伝えても失礼には当たりません。 具体的に以下の条件が揃っていれば、お悔やみをメールで伝えても問題ないでしょう。 お悔やみをメールで伝えても良い人の条件 メールで訃報を受けた場合、関係性が以下の条件に当てはまっていたらメールで伝えても問題ありません。 メールの題名 メールでお悔やみを伝える場合は、「ご冥福をお祈りします」より「お悔やみ申し上げます」が一般的です。 こちらは簡潔で、気持ちを過不足なく伝えられるので、メールでもよく使われる表現です。 知人や友人に宛てたメールには自分の名前だけで大丈夫ですが、ビジネス関係の人に送る場合は、そこに自分の会社名も書きます。 「ご冥福をお祈りします」はメールよりも印刷物に記載する方が適切と言えるでしょう。 メールの本文 お悔やみのメールを送る際は、読みやすく相手に負担がかからない内容にするのが一般的です。 長々とした文章を送るのはやめましょう。 ただ、お悔やみの一言だけでは失礼に当たるので、相手を気遣う事を心がけ、そこに「ご冥福をお祈りします」と一言添えるのが適切でしょう。 それは、「突然のご訃報で言葉が出ません」「本当に残念な気持ちでいっぱいです」といった感じになるでしょう。 絵文字や顔文字は受信者に誤解されてしまうので、ここでの使用は避けましょう。 お悔やみの場合は挨拶文は省略し、本文から始めます。 「ご冥福をお祈りします」と書くくらいなら、堅苦しくした方が見ている方もしっくりくるでしょう。 話し言葉ではあまり用いられない 「ご冥福をお祈りします」は文章で表現する事が多いため、口ではあまり言わない言葉です。 お悔やみを表す言葉は、「お悔やみ申し上げます」「ご愁傷様です」などがありますが、この2つの方が口で話す時によく使われると言われています。 「ご冥福をお祈りします」の言い方 ご友人に使う場合 友人同士でも「ご冥福をお祈りします」という場合がありますが、その他にも「お悔やみ申し上げます」や「哀悼の意を捧げます」と言っても言い間違いではないでしょう。 しかし、「ご冥福をお祈りします」と言わずに、代わりに別の表現でお悔やみを伝える場合があります。 決して間違ってはいないんですが、友人に対しては「ご冥福をお祈りします」は堅い感じがするでしょう。 相手の悲しみを和らげるために、普段の話し方に近い言葉遣いで相手を思いやる内容にする方が良いでしょう。 「この前はとても残念でした。 何かできそうなことがあれば仰ってください」「突然の事でかける言葉が思い付きませんが、お悔やみを申し上げます。 もしお手伝いできることがあれば何でも仰ってください」といった言葉でも適切でしょう。 冥福は仏教の思想から来ている言葉なので、キリスト教などの他の宗教は使いません。 また、同じ仏教でも浄土真宗は教義の違いにより「冥福」という言葉は使いません。 よって、「ご冥福を申し上げます」はお悔やみの言葉として広く使うことができません。 そこでここからは、「ご冥福をお祈りします」の類義語を紹介し、それぞれの使い分け方も一緒に説明します。 お悔やみ申し上げます 「ご冥福をお祈りします」の他に「お悔やみ申し上げます」という言葉があります。 「お悔やみ」とは人の死を弔う事であり、「弔う」という言葉にも葬儀・供養・法要を営むという意味が含まれています。 ご愁傷様です 「ご冥福をお祈りします」の他に、「ご愁傷様」という言葉があります。 そこには、相手を気の毒に思う様や、身内を失った人に対するお悔やみの意味が込められています。 ご愁傷様の「愁」は、「ひどく悲しむ・心配する」という意味です。 さらに「愁傷」となると、「心の傷をとても心配している」という意味になります。 自分のことであれば「嘆き悲しむ」、相手のことであれば「気の毒に思う」という意味になります。 葬儀の際に、どんな言葉をかけていいのかが分からない際には、「ご愁傷様」の一言でお悔やみの意を伝えらえます。 基本的に遺族に対して述べる言葉ですが、言うタイミングとしては弔問の時が一番多いです。 心中お察しします 「ご冥福をお祈りします」の他に「心中お察しします」という表現もあります。 「心中お察しします」は、相手に悲しい事があった際に、「相手を思いやる、悲しい気持ちや辛い気持ちに共感を表す」という意味で用いられることが多いです。 例えば、遺族が悲しみのあまり会話ができなくなった場合、言葉を待ってしまうと相手に負荷がかかります。 そんな時は何を言いたいかを察しているという意味で「心中お察しします」と伝えましょう。 「心中お察しします」は使い方を誤ると、相手を思いやる所か不快にさせてしまう恐れがあります。 同じ経験をしたことがあるなら、「心中お察しします」と言われても納得できますが、経験がない人に「心中お察しします」と言われると不快に感じる人がいます。 お力を落とされませんように 「ご冥福をお祈りします」と一言かけるだけでは、負担になってしまう相手もいる事でしょう。 また、お悔やみを伝える際に、相手を励ましたいと言う気持ちから「落ち込まないでください」「頑張ってください」「元気を出してください」などと言うのは遺族にとって負担になります。 安易な励ましは、遺族を傷つけてしまうので言葉を慎重に選びましょう。 しかし、心配だということを伝えるのも大事です。 その際には「お力を落とされませんように」「お疲れ出しませんように」「力になれることがあったら仰ってください」「ご自愛ください」などの気遣いの一言をかけるようにしましょう。 哀悼の意を表します 「忌み言葉」とは、信仰上の理由や、特定の職業・場面において使用を控えた方がよい言葉を指します。 「忌み言葉」には、不吉な意味の語を連想させる言葉が多いです。 遺族に対する礼儀や配慮として、葬儀の場で忌み言葉は使用を避けた方が良いでしょう。 そこに「ご冥福をお祈りします」の一言があっても、忌み言葉が一緒になっては無駄になってしまいます。 重ね言葉 「重ね言葉」は、悲しい事が繰り返し起こることを想像してしまうので、印象が良くありません。 例えば、重ね重ね、くれぐれも、いよいよ、など上げられます。 繰り返しを想像させられる言葉 重ね言葉ではなくても、繰り返すことを想像させられる言葉は印象が良くないとされています。 例えば、再び、続く、追って、などが上げられます。 不吉な事を想像してしまう言葉 葬儀の場において、不吉な言葉を連想させるような表現は避けるべきです。 例えば、迷う、消える、大変だ、などが上げられます。 こう言い換えれば良くなるでしょう 葬儀の場では、生死を表現する事はマナー違反になるので、言い換えると良くなるでしょう。 例えば、「死亡、死去」なら「永眠、逝去」、「重ね重ね、度々」なら「何度も、深く」、「皆々様」なら「皆様、大勢の皆様」などが上げられます。 そこに「ご冥福をお祈りします」と一言添えるなら、「ここにいる皆様と共に、ご冥福をお祈りします」という表現になるでしょう。 「ご冥福」と「お悔やみ」、両者の違い 「ご冥福をお祈りします」は、ご遺族にかける言葉ではありません。 その事を知らない方は割と多く、葬儀に来た方が指摘を受ける場合があります。 それを間違いだと知らずに挨拶をしているので、相手の気持ちを受け止めて返事を返すのが良いでしょう。 その時は相手の立場に関係なく「ご丁寧にありがとうございまず」「お心遣いありがとうございます」などと言うのが無難でしょう。 しかし「ありがとう」という言葉は、葬儀の時は不謹慎ではないかとためらう場合があります。 悲しみでなかなか言葉が出ない際には、「恐縮です」「痛み入ります」など一言だけでも構いませんし、黙礼だけでも大丈夫です。 「ご冥福をお祈りします」はペットにも使うのか ペットにも「ご冥福をお祈りします」「お悔やみ申し上げます」という言葉は使えます。 とは言えども、悲しみの中で葬儀の準備で忙しい事もあるでしょうし、短い要点を抑えた文章にまとめる事が大事です。 ペットも人間同様、家族と一員としてその家に飼われていたので、「ご冥福をお祈りします」とまでは堅苦しく言わなくても、「天国でも幸せでいてもらえると嬉しいです」などという言葉がふさわしいでしょう。 「ご冥福をお祈りします」の誤った使い方 「ご冥福をお祈りします」という表現は、日本ではよく用いられますが他の宗教に属している人はあまり用いる事がなかったりします。 しかし、決して悪い意味の言葉ではないので使ってはいけないという事はありません。 また、「ご冥福をお祈りします」の他にも使える表現があるので、その場で使い分ける事が必要になってきます。 ドライバーの転職先はドライバーワークスへ! トラック業界は人手不足が深刻で 初心者の方でも応募できる案件が非常に多いです。 トラックドライバーの業務内容は、初心者の方だと不明確な点があると思います。 業務内容がわからなくても、免許や資格や経験を問わないのはもちろん、 大型免許取得費用の補助から引っ越し代の補助までしてくれる会社も存在します。 未経験でも年収が 500万を超える案件もあるので、チェックしてみましょう! 豊富なドライバー求人を案件を持つドライバーワークスなら今より好条件な案件が見つかります!.

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お悔やみ申し上げますとご冥福をお祈り致しますの注意点

ご 冥福 を お祈り し ます の 意味

結論 「どの宗教かは気にしない。 弔電で使う」 お急ぎの方のためにまず結論から。 「ご冥福をお祈りします」は 「死後の幸福をお祈りします 」という意味です。 一部で言われている 「冥福」という言葉はキリスト教や浄土真宗で使ってはいけない、という「葬儀知識」ですが、 お葬式に参列される方は気にしなくても良いと思います。 しかし「ご冥福をお祈りします」は主に弔電の中で使われる言葉なので、 実際遺族に対する挨拶は「」を使う方が無難です。 以上が結論。 以下、詳しい解説です。 冥福の読み方は「めいふく」 冥福の読み方は「めいふく」です。 「ご宴福をお祈りします」 「ご幸福をお祈りします」 「ごしゅうふくをお祈りします」 「ごほうふくをお祈りします」 「ごえんふくをお祈りします」 全部間違いです。 「冥」の意味 葬儀の司会をやっていたある日、(お葬式のときに送る電報)を読んでいて、ふと思いました。 「故人の御冥福をお祈りします」 の「冥福(めいふく)」って何だ? 弔電の文章やテレビのニュースなどのよく使われる「冥福」という言葉ですが ふだん何となく使っていて何となく意味は分かるのですが、 ちゃんと調べたことはありませんでした。 「福」はなんとなくわかりますが「冥」という言葉の意味は? まず「冥」を広辞苑で引いてみます。 くらがり。 (えっ、お坊さんがそんなことするの、と思われた方もいると思いますが、書くのです。 で、冥加料っていうのは神仏の加護に対する御礼、 ってことで社寺へ納めるお金のことです。 一方で主人公を絶体絶命の状態に追い詰めた悪者が言うせりふ 「冥土のみやげに教えてやろう」 の冥土(または冥途)ですが 広辞苑によると 「死者の霊魂が迷い行く道。 また行き着いた暗黒の世界」 ということになります。 冥福の意味 さてここまで理解できたところで 「冥福」の意味です。 同じく広辞苑より 「冥福」・・・「みょうふく」とも読む。 ということになります。 というわけで 「御冥福をお祈りします」は 「(故人の)死後の幸福をお祈りします」という意味になります。 冥福という表現は宗教上問題ない さて、この冥福という単語は何か特定の宗教から生まれた言葉ではないので オールマイティに使えるはずなのですが、こういう意見もあります。 「冥」という字は(暗くぼんやりしてはっきりと分からない) 死後の世界を連想させる。 だから確実に神の国に逝けると考えている一部の キリスト教の場合や 阿弥陀如来の他力本願により極楽浄土に逝けると考えている 浄土真宗の場合は 使わない方が良いのでは、 という意見です。 この意見は結構見かけます。 これに対して私は 実際は、「冥福」という表現を使っても問題はない と考えています。 葬儀屋さんという仕事柄、キリスト教や浄土真宗のお葬式の最中に 「御冥福をお祈りいたします」 という文言の入った弔電をこれまで何百通も代読していますが 宗教者から指摘されたことはないです。 (仏教の葬儀の弔電に、キリスト教の言葉である「天国」の文字が入っているときは さすがにお坊さんの許可をもらいますが) それから横浜市の火葬場では、 遺族に渡す書類を入れる封筒に、ずっと前から 大きく「ご冥福をお祈りいたします」と印刷しています。 もし致命的な問題があるのなら、 上記の宗派の方が抗議をしてやめさせているはずです。 雑誌のネタとして、もしくはな一部の人たちの発言として 「冥福」 を使うべきではないという事が言われているだけなのではないでしょうか。 だから実際のところ 「御冥福をお祈りします」の使い方に関しては 特に気にしなくても良いと思います。 」 と言ったなら、なんとなく 違和感を覚えるはずです。 なぜなら 「御冥福をお祈りいたします」というのは 「哀悼の意を表します」や「お悔やみ申し上げます」と一緒で 口語体(会話で使われる言葉)ではなく、 弔電の中で使われるのがふさわしい言葉(弔電用文語体)だからです。 「御冥福をお祈りいたします」自体がお葬式という「非日常」な状況で使われるうえに、 さらに「文語体」を口にすることになるので、 実際葬儀のときの挨拶として使われるのを耳にすると 少し不自然というか窮屈(きゅうくつ)な印象をうけます。 もちろん 言う方も言われる方も、 お葬式という状況に慣れていなくて気持ちにも余裕がないので はっきりとおかしいって、感じることはないのですが。 ただ、できれば、遺族に対するお葬式の挨拶の際は 「この度はご愁傷様でございます」 を口にするのが一番しっくりくるのではないでしょうか。 シチュエーション別に見ると、 実際、お悔やみの言葉は下記のような使い分けをされます。 「哀悼の意を表します」・・・ 弔電の文中のみで使います。 くわしくはこの記事()を参照。 「ご冥福をお祈りします」・・・ 弔電の文中で使うのが好ましい。 くわしくはこの記事()を参照• 「ご愁傷様でございます」・・・ 遺族との会話のみで使います。 詳しくはこの記事()を参照• 「お悔やみ申し上げます」・・・弔電の文中や、遺族との会話の 両方で使えます。 詳しくはこの記事()を参照 ご冥福論争とは? ネット上で定期的に発生する「ご冥福論争」について解説しておきます。 このブログのアクセス記録を見ていると ときおりこのページに普段の10倍近いアクセスが集まるときがあります。 「うわっ炎上したのか?」とドキッとするのですが 原因をたどっていくとツィッターでこのページが取り上げられて アクセスが集まっているようです。 リンクをたどってみると下記の現象が起きています。 ご冥福を使用禁止にするのは無理がある 聞きかじっただけので使うなと言っている人は置いといて 自分の信仰する宗教の教義と合わないので、冥福を使われるのは不愉快、 と実際におっしゃっている人がどれくらいいらっしゃるのかというのは私には分りません。 一例としてご冥福禁止論者の論理構造を挙げるとこんな感じでしょうか。 なぜなら 「冥福」という言葉が教義(もしくは教団)の内部ではなく、外部にある言葉だからです。 確かに一般論としては その教団の教義の内部から生まれた言葉が外部でも使われるようになってしまい そのうち意味が変容してしまう、 それに対してそもそもこの言葉の意味はこうだよ、と諭(さと)す というのは当然のことだと思います。 たとえば 神学論争(決着の着かない空論) 他力本願(人頼み) というように、世間で本来の意味とは異なる使われ方をされるようになったことに対して それぞれの教団の宗教家が抗議するのはよく分かるのです。 でも冥福って言葉は、そもそも特定の教義の内部の言葉ではなく、 最初から世間で使われていた普遍的な言葉ですよね。 外部にあった言葉の意味に対して、 その言葉の定義はうちの教義に合わないから使うな ということを世間一般に求めるのは ちょっと無理があるように思うのです。 (前述したように実際そんな主張をしている人がどれくらいいるかはよく分からないのですが) もちろん、合わないって主張するぶんには別にいいのですよ。 でもそれが世間に受け入れられるかっていうと難しいと思うのです。 上記の論理をどうしても通すとなると そもそも前述した論理構造の A教義では極楽浄土OR天国に行けるとされている が真実であることの「客観的な」証明が必要になってしまうのではないでしょうか。 そんなわけで やっぱり他人が冥福を使うことを差し止めようとするのは、ちょっと無理があるかな というのが私の結論です。 関連ページ:.

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