犬鳴 村 解説。 映画『犬鳴村』ネタバレあらすじと感想。撮影に実在の最強心霊スポットを使用した“逃げられない存在”とは

犬鳴峠

犬鳴 村 解説

概要 [ ] 犬鳴峠という名前は側に位置するから来ている。 由来は諸説あり、文献『犬鳴山古実』には「この山を犬啼と呼ぶのは谷の入口には久原へ越える道筋に滝があり、昔 狼が滝に行き着いたが、上に登れないことを悲しんで鳴いていた」と記されている。 他にもこの犬鳴山はとても深いため、でも越えることが難しく泣き叫んだため犬鳴山と命名された説がある。 他にも、に(いなぎ)の境界線に位置していたことから、次第に「いんなき」と変化していった説がある。 で犬は「イン」と呼ぶため、「インナキとうげ」とも呼ばれる。 地理・交通 [ ] 久山町の東端部および宮若市の西端部にあたり、峠の北側に(583. 6)がある。 糟屋郡の久山町・篠栗町、古賀市・福津市側と宮若市側を分かつ犬鳴連峰を越える峠の一つで、とを結ぶが通る。 同道路はが連続し、狭いトンネルをくぐる交通の難所であったが、に新犬鳴トンネルが開通した後は道幅も広がっている。 なお、周辺は山間部なので大雨やなどの影響で通行止めになることもある。 筑豊地域の中で寄りに位置し、北九州市・直方市と福岡市との近道として利用されることや、宮若市には本社である宮田工場が存在する関係などで、交通量は非常に多く、深夜でもやなども多数通行している。 公共交通機関としては、宮若市・久山町・粕屋町を経由して福岡市と直方市を結ぶの路線()が犬鳴峠を越えて運行されており、新犬鳴トンネルの両端出口付近にが設けられている。 停留所名は宮若市側が「犬鳴口」、久山町側が「白木橋」である。 犬鳴山を挟んで峠と反対側にが通っているが、峠近くの区域はすべてトンネル(福岡トンネル)内となっている。 新犬鳴トンネル入口のには「 新犬鳴トンネル」(全長:1,385m)と記されている。 峠の約2km北東、宮若市側ではからの建設が進められ、に完成した(完成当時は)。 ダム湖は「の湖」という愛称がつけられ、やなど整備もされている。 また峠の入口には、温泉地であるも存在する。 犬鳴峠の古称は久原越えと言われ、江戸時代初期、-(年間)に道が開かれたと言う事であるが、より初期ごろまで地元民からは重要視されていない峠道であったらしい。 古老の言によると、犬鳴峠は非常な悪路であったため利用者はほとんどなく、地元、吉川村の住民は福岡、へ行くときはを越えてに出ていたという。 また犬鳴住民も犬鳴峠は避け、現在はになっている古賀市清滝に抜ける薦野峠を使用していたという。 猫峠、薦野峠は江戸時代より昭和初期ごろまで地元民にとって生活上、重要な道路であったという。 江戸時代より、などからやって来る人は早朝、家を出立し猫峠、薦野峠を越え吉川村の集落などで夕刻ごろまで商をした後、集落の中で懇意にしている家に一泊し、朝早く峠を越え帰途についたという。 宿泊代は売れ残り商品で済ませていた。 犬鳴にも行商人が定宿にしていた家があり、そういった関係から宗像、糟屋郡の住民と婚姻などのが多かったそうである。 宮若市側、旧犬鳴トンネル脇にある奥は犬鳴の地籍ではなく、脇田の地籍である。 犬鳴隧道・旧道 [ ] 宮若市側の犬鳴隧道入口。 入口左に記念碑。 犬鳴隧道(いぬなきずいどう、通称:旧犬鳴トンネル)は~(明治17、8年頃)に糟屋郡と鞍手郡連合組合会の決議において工事が着手されたが工事技術の未熟さと莫大な工事費を要したため一時中止となった。 しかし(昭和2年)11月糟屋郡及び鞍手郡各町村会に於いて決議され、各町村長の署名捺印をもって県当局に犬鳴道路の陳情をした。 犬鳴トンネル掘削工事については糟屋、鞍手両郡関係町村民一体となって幾多の努力を重ね、(昭和24年)11月3日府県道福丸箱崎線(福岡県道21号線)が遂に開通した。 翌年のにはの〜の運行が開始された。 当時のバスは「」と「(定員50~70人)」が使われた。 燃料には木炭を使用していたが、燃料事情が改善し、(昭和26年)にはガソリンエンジン、その後にディーゼルエンジンへと交換していった。 その後24年を経過した(昭和50年)には変貌著しい社会のニーズに応えるために新犬鳴トンネルが開通し、こちらが実質的な福岡と北九州を結ぶ幹線道路となった。 トンネルの全長を示したはが進み付いて不能なため、正確なは不明である。 上の長さでは、おおよそ150ある。 トンネル開通当時でも、峠全体がかつ薄気味悪い場所でもあるため、車の通行が極めて少ないとされている。 よく旧犬鳴トンネルと称されるが、銘板には「犬鳴隧道」と彫られており、国土地理院の地図でも「犬鳴隧道」の名称で記載されている。 しかしやでは新旧区別のために犬鳴トンネルと称するなど、両方一概とされている面もある。 は新トンネルへ付け替えられた後に閉鎖された旧トンネル経由の廃道との建設により水没した部分の2箇所があるが、双方の距離は1km以上離れている。 犬鳴峠関連で旧道と称する場合は主にダムとは直接の関連がない旧トンネル経由の廃道を指すが、誤解を避けるためこれらはそれぞれ別の区間として認識することが望ましい。 旧道はやの溜まり場となったりするなどの問題が発生したことから、旧道と旧トンネルが共に閉鎖されている。 旧トンネルの入り口はのブロックで覆われており、そこに向かう旧道も柵で封鎖されている。 閉鎖されている道路は道幅が狭く、一部では崖崩れなどで通行が非常に危険である。 またトンネル内は素掘りになっており、上部からが滴っているため、崩落の危険性もある。 久山側は比較的旧トンネルにアクセスがしやすい状況にあったが、防犯上の理由により県道に面した旧道入り口は柵で封鎖され監視カメラが設置されている。 無断立ち入りは警察に通報を行う旨の警告看板が設置されており、許可無く侵入した場合は・等で処罰の対象となり得る。 一方で宮若側旧道は車の通行が規制されているが、犬鳴山の河原之河内(かわらんこうち)登山口から熊ヶ城に続く登山道が敷設されているため、登山者であれば通行は可能となっている。 旧犬鳴トンネル口道路記念碑 府縣道福丸箱崎線開通記念碑 (道路記念碑裏面碑文) 文明者依交通開宜哉前筑鞍手郡犬鳴之嶮藩政時代通福岡唯一之要路也雖然峻坂三里羊腸老樹鬱葱昼尚暗可比蜀桟道人馬之来往危険至極多劬労犬猿亦以欲趣此峻坂悲鳴之故有此地名焉時恰遇明治之昭代郡民総皆出夫改修此峻坂年次爾来望平坦通路甚切也於此大正十三年以来挙郡一致要請県道編入遂至昭和二年有十箇年計画重要県道許可焉其後工事着々進捗仝八年更至見内務省指定県道請願許可仝十七年得鉄道々営路線隧道開鑿之確矣施工三閲年玆以昭和二十四年十一月三日挙開通式嗚呼快哉郡民百年之大望成就矣是可謂国家之息恵挙郡協力寶也今有志相謀建碑以欲後世徴于以撰文乃勒梗概云爾 銘曰 羊腸荊谷 虎貌巖顚 昔要害固 今交通填 遂裂地拓 忽補天穿 百年一夢 萬古十全 餘慶不尽 民衆長伝 昭和二十四年己丑歳晩秋 醉石 香月楽平 撰 筑水 谷 庫造 書 犬鳴村伝説 [ ]• トンネルの前に「白のは迂回してください」という看板が立てられている。 日本の記録やから完全に抹消されている。 村の入り口に「この先、は適用しません」という看板がある。 以前より、激しいを受けてきたため、村人は外部との交流を一切拒み、の生活をしている。 が続いているとされる場合もある。 入り口から少し進んだところに広場があり、ボロボロのセダンが置いてある。 またその先にある小屋には、が山積みにされている。 旧道の犬鳴トンネルには柵があり、乗り越えたところに紐と缶の仕掛けが施されていて、引っ掛かると大きな音が鳴り、を持った村人が駆けつける。 「村人は異常に足が速い」と続く場合もある。 全てのメーカーのが「圏外」となり使用不能となる。 また近くのにあるはに通じない。 若いが面白半分で犬鳴村に入り、惨殺された。 これらの説は全て事実ではない。 犬鳴は中期、(4年)以前に庁が城下、地行町に居住していた御譜代組足軽に移住を命じ成立させた村落であり、激しい差別を受けていた等の事実はない。 犬鳴にあった江戸時代中後期にかけての足軽墓地群の改葬時(昭和40年頃)、墓地群にあったほとんどの墓石のは軒号と庵号が刻まれていたという。 江戸時代の地誌、筑前国続風土記、筑前國続風土記附録、筑前國続風土記拾遺、犬鳴を含めた吉川庄(旧若宮町の西半分にあたる地域=吉川村域)の総社である日吉山王宮の大宮司職・国井内膳が(14年)に犬鳴の事を書き記した犬鳴山古実という地誌にも、外部との交流を拒み自給自足の生活をしていた事や、江戸時代以前より激しい差別を受けていた事などは記してはいない。 住民の代々のは犬鳴から数キロほどの所にあるとの寺院であるが、両寺の過去帳にも一般のとして記載してある。 浄土宗寺院の本堂内には犬鳴檀家の祖霊が安置してある御霊屋がある。 福岡藩のが 元年 に犬鳴日原鉄山、 元年 に有事の際の藩主の避難場所としてを建造させ 、福岡藩の要所の一つとしていた為、日々多くの人の出入りがあったにも関わらず、危険な集落の目撃談や原因不明の死亡者や行方不明者が出たという記述も無い事から、そのような集落があったとは考えにくい。 犬鳴日原鉄山にまつわる話によると、に従事する職人をから招き 福岡藩御譜代組足軽である犬鳴村の住民との接触を禁じたが、住居や墓を犬鳴村内に置いた。 墓は金山と穴蔵口(あなぐらぐち)と言われるところの2ヶ所にあり、この墓の中には(2年)と同三年の年号銘や戒名が彫ってあるものがあり、子供の墓もある。 犬鳴村の住民達には旅人墓(ロジン墓)と呼ばれるその墓に近付くと祟りがあるとして怖れられていたという。 この伝説を題材としたホラー映画『』が監督で制作され、に公開された。 実在した犬鳴谷村について [ ] 詳細は「」を参照 実在したといわれる犬鳴村は、正式には犬鳴谷村という。 現在の地名でいう宮若市の犬鳴という場所に、かつてと呼ばれる集落があり、に属していた。 (明治22年)に町村制度が施行されるにあたり、周辺の4村(脇田・乙野・小伏・縁山畑)と合併して吉川村を発足させ、犬鳴谷村は吉川村の一集落となった。 その後市町村合併が進められ、(昭和30年)吉川村は若宮町と対等合併した。 2006年2月11日(平成18年)の若宮町・宮田町の合併では「宮若市犬鳴」となり、現在も地名として残っている。 などを主産業としていたが、産業を取り巻く事情の変化などにより廃れた。 集落の中心地は犬鳴ダムの建設により、湖底に沈んだ。 元居住者は周囲の町へ移転した。 先述の都市伝説の「犬鳴村と呼ばれる地域」とは全く関係がない。 ダム施工前に存在した犬鳴(吉川村)の集落は、の過去ので確認可能となっている。 事件・事故 [ ] この節のが望まれています。 主に: 主犯の裁判記録など、詳細な事件内容、判決日がわかる資料 ( 2018年8月) には、 現 の犯行グループリーダーの少年(19歳、手伝い)を含めたグループ5人(16-19歳)を、と容疑で逮捕した。 調べでは、2人の少年が同年夕方に、内で帰宅途中の工員(20歳、方城町)の軽乗用車を見つけて、「車を貸してくれ」と頼んだ。 しかし断られたため、それに腹を立てた犯人グループは工員の車を奪い、また工員も一緒に連れ去って仲間の家に監禁した。 その後、少年グループら全員で、久山町の犬鳴隧道(旧犬鳴トンネル)へ連れ去って工員の手足を縛り、ガソリンをかけて焼殺した疑い がある。 その後、主犯はを受けている。 にはで事件が発生している。 峠周辺は交通の難所であり、冬場のやが多いため、も多く発生している。 周辺で見られる主な動植物 [ ]• 新犬鳴トンネル付近。 Google Earth Proによるおおまかな測定。 犬鳴 犬鳴川治水ダム関係文化財調査報告 1 p33• 若宮町誌 上 141〜161頁• com. 2018年12月16日. 2018年12月17日閲覧。 Movie Walker. 2018年12月16日. 2018年12月17日閲覧。 毎日新聞メディア編成本部 毎日新聞戦後の重大事件早見表 1991年5月25日印刷 1991年6月10日発行 沢畠 毅 p. 183 関連項目 [ ]• - 犬鳴村伝説を題材としたホラー映画。 - 犬鳴村伝説を題材としたホラーゲーム。 (犬鳴峠の南東側にある峠)• この項目は、に関連した です。 などしてくださる()。

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映画「犬鳴村」ネタバレあり感想解説と評価 難易度高めな「ポツンと一軒家」

犬鳴 村 解説

それでは「犬鳴村」を徹底的に解説していきましょう!!(わくわく) 【犬鳴村解説】まず1番最初のパラレルワールドは「トンネル」。 奏の兄(龍汰)と龍汰の彼女が「犬鳴村」に行ったとき、トンネルの先に犬鳴村があったのですが…、みなさん覚えていますでしょうか? トンネルの入り口は完全に開いていましたよね? 本来であればブロックが積み上げられて中には簡単に入れなくなっているトンネルですが、 積み上げられたブロックがない世界に二人は足を踏み込みます。 この電話を取ったことで、パラレルワールドへの扉が開いたことが推測できます。 【犬鳴村解説】2つ目のパラレルワールドは「公衆電話」で溺死…? 「赤い橋の所(犬鳴村の近く)の所でバイクが壊れたから迎えに来てくれという電話」 こちらもパラレルワールドが生じます。 2人組が公衆電話付近に近づいた時、 電話をした男性が橋から飛び降りようとしているのはご覧になったでしょうか。 「今」の時間軸でなく、「つい先ほど」の時間軸でかかってきた電話が「今」かかってきているのがお分かりでしょうか…。 いくつもの重なり合う空間に、彼だけが同時に存在しているんです。 分かりやすく例えを言いますね。 奏が兄と弟を助けに犬鳴村に行ったシーンが後半に出てきますが、「当時」の犬鳴村の空間に「現在」生きている奏とその兄弟が存在していることになりますよね。 幽霊の男性も同じように「今現在」の時間軸で「当時」の男性が(生きた状態で?)存在していることになります。 しかしその男性の幽霊は「その当時生きているのか死んでいるのか誰にも分からない」んです。 いったいこの男性の時間軸はどこに存在しているのでしょうか…。 まさに…パラレルワールド…。 【犬鳴村解説】4つ目のパラレルワールドは「当時の犬鳴村」 奏の兄と弟が捉えられていた「ソノ当時の犬鳴村」その村の存在自体がパラレルワールドなのは皆さんもうお気づきでしょうか。 なぜならば本来の「犬鳴村」はダムの底に沈んでいるから存在するはずがないんです。 そして、無いはずの犬鳴村に行くための条件は1つ。 夜中2時に公衆電話にかかってくる電話をとることでしたよね。 (トンネルの封鎖がなくなるのと同様です) また、奏の弟は「犬鳴村」のことを「幻の見つからない村」とも言っていました。 ダムの底に沈んだはずの犬鳴村ですが、 パラレルワールド(異次元)として同じ空間に存在しているということです。 よって、本来であればトンネルの入り口にブロックが積まれていないということも無ければ、トンネルの先の「犬鳴村」に行くことができることもあり得ません。 【犬鳴村解説】最後のクライマックスシーンの謎! マヤの子どもは奏の祖母だった…。 このシーンも色々な空間(時間軸)が折り重なっていましたよね。 混乱した方もいらっしゃったのではないでしょうか。 結局この最後のシーンが無かったとしたら、奏も生まれていなかったという奇妙な世界観です。 現代の奏がマヤの子どもを助けに行かないと、祖母は助からない。 祖母が助からないということは、奏たちも生まれない。 だからこそ、奏の兄は呼ばれるようにして犬鳴村へ行ってしまって捕まってしまったのでしょう。 そうです、すべては必然。 男性の幽霊に恐怖心が湧いてしまっては、犬鳴村へ行くことも無かったであろう奏。 その男性を信用させるためにも、奏が小さい頃に奏の祖母は「あの幽霊は怖くないよ」と伝えてくれています。 これもまた必然…。 また、結局奏が最後に犬のようになってしまったのは、こういうことだと思います。 「犬鳴村で殺された人たちの怨念は、結局今でもなお残っている」 もしかしたら実在する犬鳴村の呪いも未だに残っているぞというメッセージなのかも…。 そして、最後に残った「犬鳴村」もう1つの最大の謎はこちらでしょう。 病院へ来た男の子の母親も実は犬鳴村出身の人だった。 男の子の産みの親は身寄りがありません。 まるで奏の祖母のように。 時間軸がおかしいので、きっとこれもパラレルワールド…。 恐ろしい…。 【映画:犬鳴村】徹底解説のまとめ 映画をパラレルワールドの理論で徹底的に解説してみました!! どれだけの方が納得してくれたでしょうか。

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【ネタバレあり】『犬鳴村』感想・解説:実在した村に纏わる怖い話は村に行くまでがピーク?

犬鳴 村 解説

日本国内には実に多彩な奇妙な伝説がある。 今回はその中から一つ、「犬鳴村伝説」について紹介します。 福岡県某所にあると言われる犬鳴村。 伝説によるとその村は「外の世界から遮断され、なおかつ日本国憲法の通じない村」とされている。 その村に伝わる伝説にはこんなものがある。 「入った者は出られない」 「罠が仕掛けられている」 「罠に掛かると村人達が斧を持ち追いかけてくる」 「あるカップルの行方不明事件」 「携帯の電波は届かない」 「地図には載っていない」 「日本国憲法は通じないと書かれた看板」 実に様々な伝説、そしてそのほとんどが奇妙なものばかり。 現在は国内屈指の心霊スポットとされているがその真偽は分からない。 ただこのように実際に行ってきたとする人によってセダンや看板など噂や伝説として語り継がれている。 今回はそんな犬鳴村の伝説、その真実に迫ろうと思う。 福岡県の山奥、犬鳴村に続く道に「犬鳴峠」という場所が存在する。 その峠からさらにトンネルを進んだ所にこの犬鳴村が存在する。 そもそもの「犬鳴」とは一体どういった意味なのか。 それには諸説あるようですが、一説にはこう言われています。 「犬でも超えることが難しいほどの深い山。 その深さに思わず鳴いてしまうほどだった」。 この犬鳴村に続くトンネル、通称「犬鳴トンネル」は今では不法投棄などの問題で閉鎖されています。 そしてその入り口もコンクリートが積み上げられるなど通行不可になっており、そのせいかその場所が日本屈指の「心霊スポット」として取り上げられてきました。 噂によると、一台のセダンが乗り捨てられているとの声も。 このセダンはこの付近で行方不明になったカップルが乗っていたと考えられています。 犬鳴トンネルの入り口がコンクリートブロックで封鎖されている画像は一度は見た事があるかもしれません。 さらにこの犬鳴村は、福岡県にあるとされながら地図からもその存在を消されているといいます。 ここから実際に行ってきたとする方達の犬鳴村にまつわる伝説を細紹介していきます。 感染症患者を匿ったことで孤立化が進んだ犬鳴村。 現在では日本国憲法など国家権力が力を加えることができない「特別保護区」とされている。 それはこの村が「避け地」となったことにも由来する。 「避け地」とは現在ではあまり馴染みのない言葉です。 かつて日本全国に存在したこの「避け地」とは伝染病隔離地域とされ、日本政府から保護されてきた地です。 食料などの必要な物は定期的に運ばれ提供されていました。 しかし戦争に伴ってその地域は見捨てられたと言います。 避け地として感染症患者を匿うために、他の人間を入れないよう看板が置かれたと言われています。 現在ではこの真実は隠ぺいされてしまっています。 極秘事項として扱われ一部の人間しかしらないようです。 犬鳴村に語り継がれる伝説には必ずと言っていいほど「セダン」が登場する。 それは犬鳴トンネルに放置された一台のセダンのことを指しています。 このセダンはかつてこの地に訪れた若いカップルが乗っていたと言われているものです。 カップルはこの地でセダンを置いたまま姿を消してしまいました。 噂では近くで死体となって発見されたとも行方不明のままとも言われています。 どちらにせよ奇妙な事件です。 犬鳴村にはこのような事件の噂が後を絶ちません。 「村の中のプレハブ小屋に殺した人間の死体が積み上げられている」「面白半分で村に入り惨殺」など。 事件として取り上げられたのかは定かではないが、そんな恐ろしい噂は数知れず。 犬鳴トンネルの入り口にはそうして面白半分で入れないようにコンクリートが積み上げられています。 上で紹介した有名な画像です。 そして犬鳴村の入り口には「この先日本国憲法通用せず」と書かれた看板が。 こうして無暗に入ってくる人間を防いでいるのでしょうか。 既に上でも紹介している犬鳴村の名前の由来。 これにはもう一つの説があるのです。 その猟の最中、あまりにも犬が鳴きわめくので頭にきた男はその犬を撃ち殺した。 しかしその後ろには巨大な蛇が渦巻いていた。 犬は危険を知らせていたのだ。 男は銃を捨て犬のために僧侶となる。 それからその山は「犬鳴山」と呼ばれるようになる。 他の噂もまた江戸時代に遡ることが多いことから、犬鳴村伝説の歴史の深さを感じることができます。 それが現在まで語り継がれるのは、やはり事件か事故かそれ以上か、日本国憲法が通じない、外界と遮断するとされる何かしらの理由があるのでしょうか。 伝説自体は江戸時代から存在する。 ではその後看板しかり有名な画像のようなコンクリートはいつから存在するのか。 これまでにたくさんの挑戦者が犬鳴村へと「行ってきた」、とその体験談を報告しています。 たしかに犬鳴村は地図になく、入り口に「日本国憲法は通じない」と書かれているようです。 セダンや看板の目撃談も多くあがっており、トンネルを中心に心霊現象を体験した報告も挙がっています。 福岡県にある日本屈指の心霊スポット。 行ってきたとし報告を挙げる数が多ければ、その真偽を問う数が多くなるのも当然。 その場に行ってきた人間にしか分からないこともあるかと思います。 ここまでの行ってきたという体験談や心霊現象、伝説を読みそれでも行きたいという挑戦者がいるのもまた事実。 好奇心は知れば知るほど高くなるものです。 しかしこの犬鳴村、現在地図に書かれていない理由が存在します。 それは「ダム」の存在です。 日本屈指の心霊スポット、とはいえ犬鳴村伝説と言われてもピンとこない人もいるかもしれません。 実は福岡県では言わずと知れた心霊スポットで、誰もが知るいわくつきの場所です。 地図になり、日本国憲法が通じないと書かれた看板そしてセダンなど、犬鳴村と言うとすぐにいくつかのワードが飛び出します。 過去にテレビなどメディアで度々取り上げられているほど有名なスポットなのです。 しかし、実際にメディアで取り上げられるのは犬鳴村ではなく犬鳴峠、または犬鳴トンネル。 何故犬鳴村まで行かないのかと、心霊ファンはいつもやきもきしているようです。 その理由の一つとして挙がったのが「圧力」。 それが政府からなのかどこからなのか分からないが、何かしら圧力がかかりそれ以上の詮索をしないというのです。 確かにこれだけの「セダン」や「日本国憲法~」の看板など、現在に至るまで多くの目撃情報が後を絶たないのに疑問が残ります。 実際に犬鳴村は存在し、地図から消した上で何かしらの圧力をかける。 それは今もなお江戸時代からの風習が続く犬鳴村の存在を現しているような気になってしまいます。 数々の事件の噂、セダンや日本国憲法~の看板、地図に載らない村「犬鳴村」。 たくさんの噂や伝説は本当に実在するのでしょうか。 福岡県の鞍手郡という場所にその「犬鳴村」が実在していたことは事実のようです。 しかしながら現在はその村自体が合併することで名前を変えています。 しかし2006年の村の合併で「宮若市犬鳴」が誕生。 現在もなお犬鳴の名前が入った地名としてその名残を残しています。 ではセダンや日本国憲法~の看板などはどうなっているのでしょう。 これはおそらく、なんらかの事件もしくは事故が発生した時に犬鳴村の過去の話しと合体させ、奇妙な話にしてしまったのでしょう。 そうして噂が噂を呼び現在の心霊スポットとなったのではないでしょうか。 実際にかつて犬鳴村はあった場所はダムの底に沈んでいると言います。 実際にあったとする看板も沈んでしまっているかもしれません。 実際に存在する犬鳴村の詳細を語った文献には、酷い差別や外部との遮断による自給自足などの記述は載っていません。 江戸時代から存在することは確かながら伝説の数々は存在しないことが分かります。 福岡県のこの地域で起きた事件と犬鳴村を合わせることで、誰かが奇妙なものを作り上げたのです。 心霊スポットというものは最近人気に火が付いた、というものではありません。 この犬鳴村が長い間福岡県をはじめとしたマニアの中でも有名なのは、やはり昔からそういう伝説があったからでしょう。 そして実際にこの村と関わっているかでは定かではない事件とを結び付け、恐怖と好奇心で伝説を作り上げていってしまったのではないでしょうか。 福岡県の山奥地図には無い村、日本国憲法の通じない地域、どこかで起きた事件。 人間なら好奇心を掻き立てられるのも無理はありません。 しかし火のない所に煙は立たぬ、というように絶対に無いとは言い切れないのが都市伝説の恐ろしくも面白い所。 実際に行くのは自身の勝手ですが、くれぐれもお気を付けくださいとだけ言っておきます。

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