渡哲也学歴。 石原裕次郎

渡哲也の生い立ちは?若い頃は日活のアクションスターだった!

渡哲也学歴

76年(35歳)ドラマ「大都会」出演。 79年(38歳)ドラマ「西部警察」主演。 ・3歳年下の弟(渡瀬恒彦)がいる。 ・小1の時、父親が脱サラして淡路島に洋品店を開店。 ・子供の頃は引っ込み思案だった。 ・父親は頑固一徹でとても厳しく、よくビンタされた。 ・習いごと…柔道。 ・小学校時代、父親に毎日夜中まで勉強させられた。 ・中3の時、「団体生活で独立心を養うように」と父親に全寮制の三田学園に転校させられた。 ・高校時代、不良だった。 真っ赤なシャツを着てスタンドバーに行った。 タバコを見つかってよく先生に怒られた。 よくケンカをした。 停学になった。 父親から長文の手紙を貰って改心した(その手紙は大人になった後も保存してある)。 ・学生時代、石原裕次郎に憧れていた。 1時間以上電車に乗って神戸に行って裕次郎の映画を観た。 友人と金を出しあって裕次郎ファッションの服を買って交代で着た。 ・大学時代、空手部。 ・大学4年の時、整備士志望で日本航空の入社試験を受けた(不合格)。 バッテラ。 カニみそ。 このわた。 アメリカンコーヒー(1日10杯以上)。 ・嫌いな食べ物…山芋。 ・酒が好き。 40歳まではビール1杯が限度だった。 だらだらと朝まで飲んでしまう事がある。 自宅の庭で酒を飲みながらたき火をするのが好き。 ・05年頃に禁煙。 以前はピースを1日2〜3箱のヘビースモーカーだった。 ・毎月定期健診を受ける。 ・葉間肋膜炎で6ヵ月入院(=72年)。 ・膠原病を患った(=73年)。 ・左胸膜癒着症で9ヵ月入院(大河ドラマ「勝海舟」を途中降番=74年)。 ・直腸がんを手術して人工肛門を形成(=91年)。 ・大腸ポリープを手術(=97年)。 ・肺炎で入退院を繰り返しながらドラマ「義経」の収録に参加(=04年)。 ・急性心筋梗塞の緊急手術を受けた(=15年)。 理学療法士の指導でストレッチ、自転車こぎなどのリハビリ(週3回=17. 10現在)。 ・仕事に行く前に自分で洗腸をする。 体温とほぼ同じ温度のお湯を人工肛門から注入して便を出す。 調子がいい時は15分で終わる。 洗腸は挑戦した人の9割が挫折するという難しい技術。 洗腸できないと常時便用の袋を付けていなければならないので必死で習得した。 ・父親も直腸ガンを手術して人工肛門だった。 遺伝的にガン体質なので本当は酒もタバコもやらない方が良いが、 酒を飲まずタバコを吸わなくても早く死ぬ人もいるのであまり気にしないようにしている。 ・エイズ撲滅チャリティー、小児ガン撲滅キャンペーンなどを主催。 ・住んでいる所…東京都大田区(=98年現在)。 ・自宅の庭にたき火用の炉がある。 客が来ると焼芋をふるまう。 近所の人に何度も通報された。 ・ゴルフが大好き。 時間が許す限りゴルフをやる。 手のひらにゴルフだこがある。 ・座右の銘…乾坤一擲・剛毅果断。 ・長渕剛の歌が好き。 カラオケで「とんぼ」をよく歌う。 ・20代の頃は暇さえあれば女性と遊ぶ事を考えていた。 ・何歳になっても若い女性にちょっかい出す男でありたいと思っている。 家族ぐるみのつきあい。 ・三浦友和…家族ぐるみの交際。 ドラマ「西部警察」で共演。 山口百恵から引退コンサートのマイクを貰った(石原裕次郎記念館に展示)。 ・館ひろし…友人。 石原プロの後輩。 毎年大晦日に自宅に遊びに来て、たき火をしながら酒を飲んで除夜の鐘を聞く。 渡を「親方」と呼ぶ。 ・西城秀樹、西川きよし…友人。 ・目黒祐樹…いきつけのカラオケスナックの常連同士、デュエットで歌う。 ・長島茂雄…同じゴルフ練習場を使っている。 ・池田努、徳重聡、石原良純、峰竜太、神田正輝、舘ひろし、 寺尾聰、苅谷俊介、渡哲也、石原裕次郎 …石原軍団の主要メンバー(過去に在籍を含む、年齢順)。 ・高橋英樹、和田浩治、浜田光夫、中尾彬、渡哲也、津川雅彦、 赤木圭一郎、小林旭、川地民夫、岡田真澄、石原裕次郎、長門裕之、 宍戸錠、野呂圭介、名和宏、二谷英明、 和泉雅子、梶芽衣子、吉永小百合、松原智恵子、松尾嘉代、笹森礼子、 浅丘ルリ子、白木万理、芦川いづみ、北原三枝、南田洋子 …日活出身(年齢順)。 ・浅丘ルリ子…デビュー映画「あばれ騎士道」で浅丘の相手役を務めた。 ・松原智恵子…日活時代、数々の映画で共演。 ・吉永小百合…日活時代、多数の映画で恋人役で共演。 CM「宝酒造 松竹梅」で共演(=98年〜)。 映画「長崎ぶらぶら節」で共演(=00年)。 ・いしだあゆみ…デュエット曲「わかれ道」をリリース(=87年)。 ・多岐川裕美…デュエット曲「めぐり逢いしのび逢い」をリリース(=82年)。 ・萩本欽一…萩本が監督した短編映画「港」に主演(=93年)。 ・牧村三枝子…渡がプレゼントしたシャネルのハンドバッグを宝物にしている。 ・古手川祐子…渡を「おにいちゃん」と呼んで憧れている。 ・田中美奈子…渡を「芸能界の父」と慕っている。 ドラマ「ゴリラ 警視庁捜査第8課」で共演。 ・柴田理恵…渡哲也に憧れてサングラスをかけていた(高校時代)。 ・中田喜子…渡の大ファン。 ・有吉弘行、大仁田厚、駒田徳広、大沢逸美…渡のファン。 ・渡瀬恒彦…弟。 ・錦織圭…遠い親戚(渡の祖母と錦織の母方の曾祖父がきょうだい)。 ・俊子…? 年結婚。 大学の1年後輩。 ・子供: 長男…暁史。 34歳、会社員(=07. 10現在)。 俳優になる気はなかったので撮影所見学のつもりで行ったら、 オーディションを受ける前に食堂でスカウトされた。 ・最後のニューフェースとして日活に入社。 ・「石原裕次郎の弟分」として売り出された。 ・「純愛のブルース」で歌手デビュー(=65年)。 ・デビューから日活が映画製作を一時中止するまでの6年間で50本以上の映画に出演。 ・シングル「くちなしの花」がヒット(=73年)。 ・NHK紅白歌合戦に初出場(=74年)。 ・ドラマ「水戸黄門」(第1部)にゲスト出演。 ・ドラマ「西部警察」は毎回派手なアクションがあった。 爆破した車両総数は4680台(1話平均20台)。 第1話で巨大装甲車が銀座を走った。 ・石原裕次郎逝去後に石原プロの社長に就任(=87年)。 ・石原プロの忘年会は多い時は700人が集まる(ホテルを貸し切って開催)。 ・根は人嫌いの話下手で大勢の前で演技するのは得意ではない。 ・仕事の時には豪華キャンピングカーを使用(石原プロの伝統)。 ・役作りは一切しない。 演出家に言われた通りに演じるように努力する。 ・阪神淡路大震災の被災地で石原軍団を率いて何度も炊き出しを行った。 ・自伝「渡哲也 俺」を上梓(毎日新聞社=97年)。 ・ホームドラマ「想いで、かくれんぼ」に主演(=00年)。 ・撮影中の交通事故でドラマ「西部警察2003」が制作中止(=03年)。 石原プロの若手俳優・池田努が運転するクルマが見物客につっこんで5人が負傷。 渡が被害者を見舞って土下座で謝罪。 ・シングル64曲をリリース(=03. 12現在)。 ・ドラマ「弟」で石原裕次郎の父親を演じた(=04年)。 ・ゲームソフト「龍が如く」に声優として出演(=05年)。 ・芸能生活40周年の集大成としてベストアルバム「渡哲也」をリリース(=05年)。 ・ドラマ「マグロ」の撮影で体長2mの大物を釣った(=06年)。 ・「クイズ・ミリオネア」で全問正解1000万円の直前でドロップアウト、 賞金750万円を小児がん患者に寄付。

次の

渡哲也さんって小林旭さんの事嫌いなのでしょうか?日活で一...

渡哲也学歴

渡哲也さんのプロフィールと現在 渡哲也 本名:渡瀬道彦(わたせみちひこ) 出身地:島根県能義郡 生年月日:1941年12月28日 身長:180cm、出身校:青山学院大学経済学部、所属:石原プロモーション、 石原プロモーションは、俳優石原裕次郎さんが設立した芸能プロダクションです。 渡哲也さんは、1964年日活で俳優としてデビューした後、尊敬する石原裕次郎さんの会社である石原プロダクションに入社しました。 1897年に石原裕次郎さんが亡くなると渡哲也さんが、2代社長に就任しました。 2011年まで社長を務めあげて、同年に退任しています。 表向きは、創業者である石原裕次郎さんが社長を務めていた在任期間を超えるわけにはいかないということが理由でした。 ただ、実際には社長退任の理由は渡哲也さんの体調がおもわしくないことはないかともいわれています。 ところが、2017年には石原プロに相談役と取締役を兼ねた「相談取締役」という肩書きで会社の経営に復帰しています。 渡哲也さんの代表作品といえば、ドラマ「西部警察」「大都会シリーズ」でしょうか。 激しいアクションから男らしい役柄や寡黙ながらやさしい父親役など演じた役柄は渡哲也さんの、人柄そのままのような気がします。 渡哲也さんは在宅酸素とストーマで病気治療している? 渡哲也さんは、1991年に直腸ガンは発見され、大手術をしました。 最初に2つのポリープが超に見つかりました。 その後、詳しい内視鏡検査を受けてみると、4つのポリープがあることがわかりました。 この段階では早期発見と思われていたのですが、思いのほか病気の状況は悪化していたようです。 結果的に、直腸を25cmにもわたって切り取らなくてはならなかったようです。 渡哲也さんはこの直腸がんの手術受けて受けてから、ストーマと呼ばれる人工肛門 をつけることなりました。 渡哲也さんご自身が、オスメイト 人口肛門、人口膀胱使用者 であることを公表しました。 少しストーマについて触れておきたいと思います。 ストーマとは、「口」という意味のギリシャ語で、おなかに作る便や尿の排泄口のことを表す意味で使われています。 腸管や尿管をおなかの外側に出した形で作ります。 ストーマの外観は花のつぼみや大きな梅干しのような形状をしていますが、大きさや細やかな形状は人によって色々な違いがあります。 ストーマの表面は粘膜でできているため、赤色をしていて粘液でいつも湿っている状態を保っています。 ストーマには神経がなく、痛みを感じることはないので、丁寧に傷つかないように扱う必要があります。 また、括約筋がないため便意を感じたり便を我慢することができないため、便や尿はおなかに装着しているストーマ装具と呼ばれる容器の中に排泄するかたちになります。 食べて口から入った食べ物は、かみ砕かれて食道を通って胃に入り、消化液と混ざりあって液状になり、小腸に運ばれます。 液状になった食べ物は小腸を通る間に栄養分のほとんどが体に吸収されます。 そして、消化されにくいものと水分とにわかれます。 大腸では水分が吸収され、残りの消化されにくいものだったり、不要な物は半固形状になり、大腸を経由して直腸にためられ、最後に便として肛門から体の外に出される仕組みです。 一方尿の方は、体の中の不要物が血液に溶けて腎臓に運ばれ、余分な水分と一緒にろ過されて尿になります。 その後、2本の尿管を通って膀胱まで運ばれます。 膀胱が一杯になったという信号は神経を通じて脳に送られます。 そして都合のよいときに尿道を通って体外に排泄される仕組みになっています。 渡哲也さん現在の病状は? その後、2015年には急性心筋梗塞で倒れ、手術をしています。 一時は本当に危ない状況だったようです。 渡哲也さんはもともとぜんそくと肺気腫の持病もあったそうです。 現在の渡哲也さんは、在宅酸素療法を受けた生活をされているそうです。 在宅酸素療法とは体に十分に酸素を取り込めない人が自宅で酸素吸入をする治療法です。 酸素吸入するには酸素呼吸器が必要になります。 酸素呼吸器とはチューブを通して酸素を吸入できるようにする機器です。 チューブの先は鼻の下で固定されていることが多いです。 しかし、一度酸素呼吸器が必要な状態になってしまうと、常に必要になってしまい持ち歩くようになってしまうそうです。 渡哲也さんは呼吸するときの肺の動きが悪くなっているのでしょうか。 渡哲也さんは外出時にも酸素呼吸器が必要になっているようですね。 報道によると渡哲也さんの自宅には週に2~3回治療のために理学療法士がきているそうです。 自宅でストレッチやスクワットをしたり、歩いたりして体力作りに励んでいるそうです。 そんな長年闘病生活をつづけている渡哲也さんを献身的に支えている嫁とはどんな人なのでしょうか。 それほど2人の共演は多く、特に吉永小百合さんと渡哲也さんは夫婦役を演じることも多く、息が合った長年の名コンビだから本当の夫婦ではないかと思われているかもしれませんね。 渡哲也さんは1971年に青山学院大学の同窓生だった、石川俊子さんという一般の人と結婚しています。 挙式はハワイで2人だけでされたようです。 当時の人気俳優の結婚としてはめずらしいことでした。 渡哲也さんと嫁の石川俊子さんには息子がひとりいます。 渡哲也さんの嫁の情報は少なく、あまり見つからないのですが、同じように息子の情報についてもとても少なくて見つかりません。 ただ、鹿島建設で会社員をされている方との情報がありますが、確実なところはわかっていません。 息子はアメフトやラグビー系の体育会系出身のようで、大学を卒業後そのまま就職されたようです。 渡哲也さんの息子ともなれば、石原プロダクションで俳優、芸能界デビューも難しくはないようにも思えますが、俳優や芸能界道には進まなかったようですね。 渡哲也さんの年齢からするともしかしたら、もう孫もいるのかもしれませんね。 渡哲也さんの孫についての情報は見つかりませんでした。 また、渡哲也さんの嫁や息子の画像についても情報が少ないため見つかりませんでした。 2017年には、渡哲也さんの弟であり俳優でもある渡瀬恒彦さんが多臓器不全で亡くなっています。 胆のうがんをわずらいながらも亡くなる直前まで俳優の仕事を続けていました。 そして、渡瀬恒彦さんも肺気腫の病気で苦しんできたそうです。 共に芸能界で過ごしてきた弟が亡くなってしまったことは大変つらかっただろうと思います。 渡哲也さんは「ずっと俳優として現場に立ち続けたい」という強い思いがあるそうです。 志半ばで亡くなった弟の渡瀬恒彦さんの分も俳優の仕事を可能な限りやり遂げたいのではないでしょうか。 渡哲也さんは大変な闘病生活を続けながらも、懸命やリハビリ治療を続けているそうです。 渡哲也さんはいままでもいく度となく大変な病気を乗り越えてきました。 また渡哲也さんの容態がよくなり、復活してくれることを大勢のファンが願っていることでしょう。 渡哲也さんと親戚関係にある有名アスリートは、テニスの錦織圭選手です。 錦織圭選手も出身は島根県でしたね。 渡哲也さんと錦織圭さんの曽祖父が兄弟だったそうです。 渡哲也さんと錦織圭さんが血縁とはすごい親戚関係で驚きましたね。 渡哲也さんも身長は180cmと長身で青山学院大学の学生時代は、空手部の主将でしたから、身体能力に恵まれた家系なのかもしれませんね。 渡哲也さんも錦織圭さんが世界で活躍するようになって知ったそうです。 今では大変活躍を楽しみにして応援しているそうです。 錦織圭さんの活躍が渡哲也さんのリハビリの励みになればいいですね。

次の

石原裕次郎

渡哲也学歴

株式会社 石原プロモーション Ishihara International Productions, Inc. 略称 石原プロ 本社所在地 〒182-0024 布田4丁目20番地 調布シティビル3階 設立 (昭和38年) 事業内容 、 代表者 資本金 3000万円 純利益 2374万8000円(2017年12月31日時点) 総資産 47億0709万4000円(2017年12月31日時点) 従業員数 30人(所属タレントを除く) 主要子会社 石原インターナショナル アイ・ビー・エフ 石原ミュージック 関係する人物 外部リンク 株式会社石原プロモーション(いしはらプロモーション) は、のが設立したの、である。 本社はに所在。 略称・通称は「石原プロ」。 また、同社が制作していた「」の『黒岩軍団』、「西部警察」シリーズの『大門軍団』にちなみ、所属タレントの集団は『 石原軍団』(いしはらぐんだん)の愛称で広く親しまれている。 2016年12月から新たに「 石原プロNEXT GENERATION」と呼ばれるグループが誕生し、従来の石原プロとともに二部構成となった。 代表取締役会長は。 概要 [ ] 芸能事務所・制作プロダクションであるが、プロデュースやマネジメントが中心の他のプロダクションと違い、撮影用機材やクルーを現在も自社で保有しており、自社を「 映画製作会社」と名乗っている。 は、所属していた映画会社であるとは別に、と「石原商事」を経営していたが、に個人事務所(プライベートオフィス)として設立され、など、日活出身の俳優が所属した。 からにかけて、大手映画会社に出来ない作品を作るという理想のもとに『』、『』、『』など、裕次郎主演映画を中心に多数の映画を製作。 特に1967年から1969年にかけては、の活躍によって一時的に経営が潤ったが、収益を自社製作映画の膨大な製作費に充てていた状況で、映画産業の斜陽化の煽りも受け、『』など興行的に失敗した作品も多かった。 会社存続が危ぶまれ、8億円(当時)近い負債を背負った。 1972年、テレビへの過小評価から頑なにテレビドラマ出演を拒否していた石原裕次郎は、周囲の強い説得で嫌々ながらも『』(・)に主演する。 番組は反響と高視聴率を獲得し、テレビが持つ影響力の大きさを身をもって体験したことがもとで、活動の軸足を映画からテレビに移していくこととなる。 会社の再建のため、また自分が愛してやまない映画をもう一度作りたいという想いから、自社でテレビドラマ『』及び『』シリーズを製作して人気を集め、負債を完済したのみならず約30億円に上る資産を築き、再建に成功した。 しかし本来の目的であった映画製作は、公開の『』向け短編が最後となっており 、また、テレビドラマの制作も2010年代以降は行われていない。 会社存続が危ぶまれた当時、石原裕次郎を慕っていた日活の後輩であるを皮切りに俳優が所属するようにもなり、彼らのマネジメントを手掛けた。 裕次郎亡き後は、副社長の渡が社長に昇任し、所属俳優の・も共にに就任。 専務取締役には「コマサ」ことが長年にわたり務めていた(詳しくはを参照)。 の株主総会で、裕次郎夫人であるまき子会長以外の取締役5人が退任。 代表取締役社長であった渡、取締役であった神田と舘は、いずれも一俳優として石原プロに所属することとなり、小林専務は健康上の理由で業界から引退することとなった。 なお、それまでの所属タレントや社員は同年付で全員一旦退職した上で、翌付で一部社員が再雇用される形になる。 また、制となり、社長の座は当面空席となった。 、と業務提携契約を締結。 それに伴い、石原まき子会長がチャンネル銀河の名誉会長に、また、チャンネル銀河代表取締役社長の関本好則が石原プロの会長特命コンテンツアドバイザーに就任した。 に渡哲也が経営陣に復帰し、「相談取締役」の肩書きでとを兼任する。 石原裕次郎が生前各界と交流を深めていたこともあり、全国に協賛企業・後援団体が数多く存在している。 特に代表的なものとしてがあり、石原裕次郎時代から所属俳優がCMに出演しているほか、石原プロのイベントには宝酒造の樽酒を毎回提供している。 また、ドラマ『大都会 PARTII』では同社の島原工場、『西部警察』のでは札幌工場(現在は閉鎖)・伏見工場で撮影が行われ、後者は当時の社長であったが本人役として出演している。 を以て芸能事務所としての業務を終了、つまり事実上の会社解散となることが、石原裕次郎の命日であるに公式サイトで発表された。 それと前日のには裕次郎の管理を行う新組織「ISHIHARA」を設立することも明らかとなった ほか、映像・音楽ソフトの版権管理業務を石原音楽出版社に移管することが分かった。 なお、石原まき子によると、裕次郎の遺言が「 俺が死んだら即会社をたたみなさい」だったことを明らかにしている。 名物の炊き出し [ ] ()での炊き出しのため開設された 石巻げんき食堂。 (2011年4月19日、宮城県石巻市) 石原プロは撮影用の車やバイクなどのほかに、餅つき機や3,000人分の炊飯ができる炊事器などを所有しており、関連イベントでをするのが恒例となっている。 小林正彦が自ら調理して所属俳優が料理を配るのも人気の一つであり、カレー、赤飯、豚汁、おはぎ、雑煮など種類も豊富である。 「炊き出しカレー」が市販されている。 に発生した()では、被災地ので、渡と実弟のがの炊き出しを行った。 放映の『』(テレビ朝日)では、渡をはじめとする所属俳優が料理を披露。 放映の『』(関西テレビ・フジテレビ)の料理コーナー「」に渡、舘、神田、徳重の4人が出演した際には、過去のイベントでの炊き出しの模様を記録したプロモーションビデオの存在が明らかになり、「THE 炊き出し PART4」なるビデオの一部が紹介された。 その中で舘は「ただ、俳優のプロモーションビデオはひとつもない」とも明かしている。 放送の『』(テレビ朝日)では、が都内にある石原プロの倉庫を紹介した。 この際、動態保存された多数の劇用パトカー等と共に炊き出しに使う鍋なども紹介されたが、珍百景としては登録されず。 に発生した()では、トラック28台を連ねて被災地のを訪れ、渡・舘らがからまでの一週間、や焼きそば、、など豊富な炊き出しを行った。 この炊き出しでは、被災地・被災者とは関係無い一般の石原プロファンが多数来場し、道路渋滞が発生した事で苦情が出たとの報道が一部でされた。 から6日間、東京・日本橋屋上で行われた催事・大東北展では、「屋上げんき食堂」を特設し、売上金全額は日本赤十字社を通じて被災地に寄付した。 またレトルト食品(炊き出しカレー、とん汁、おでん、ぜんざい)として一般販売もされた。 2017年にが閉館したことに伴い、倉庫にあった炊き出し用具全てを処分しており、また人員の問題や高齢化もあって、以降炊き出しは行われていない。 作品傾向 [ ] 石原プロが製作する作品は石原裕次郎、渡哲也を主役として設定したものが多く、裕次郎死後は舘を主役にした作品が量産された。 社名が「プロモーション」となっている点から、代表者の名前に囚われない幅広い作品作りを目指したなどの独立スタープロとは対照的なものであった。 『』『西部警察』に代表される、大規模なセットを組んだアクションを重視した作品が多く、撮影中の演者やスタッフの怪我や事故がたびたび発生している。 2003年には『』の撮影時に観客を負傷させる車両事故が発生しており、最終的にドラマは制作中止となった。 また、過去に製作された作品はいずれも二次利用の機会が少なく、断片的な形でのリリースとなった『西部警察』や、自社の版権が失効している『』『』などを除いてソフト化されていないものが大半を占めていた。 その後、経営体系の大幅な刷新を経た2012年に創立50周年プロジェクトとしてテレビ作品の順次DVDリリースが決定(ただし一部の作品を除いて原則セレクション形式でのリリースとなる)、翌2013年には『黒部の太陽』をはじめとする劇場映画5作品が及びDVDでリリースされた。 地上波以外での再放送もDVDと同様の傾向が見られたが 、にで『』シリーズが放送されて以降は、衛星放送を中心に自社作品の再放送が活発化している。 には石原裕次郎生誕80周年企画「4K未来映像プロジェクト」 の一環として、チャンネル銀河との共同制作で『西部警察 全国キャラバン!! ロケ聖地巡礼』(全10話)を製作。 石原プロモーションがCS向け番組を制作するのはこれが初めてである。 2016年1月からはにも参入、『大都会』『西部警察』シリーズの配信が開始されている。 幻の社歌 [ ] 同社のとして「太陽と星たちの賛歌」(作詞:、作曲:)が存在する。 元々はに裕次郎がなかにしに作詞を依頼した曲で、同年5月に予定されていたパーティー(同社の設立記念パーティーとする説 と、同社と関係の深いのパーティーとする説 がある)で披露される予定だったが、裕次郎が同時期に闘病生活に入ったためレコーディングや披露も行われず、また譜面も行方不明となったため「幻の社歌」となっていた。 当時は同社のスタッフの間でも「社歌があるらしい」という扱いだったという。 裕次郎の死後の8月に、同社の社史編纂のため裕次郎の自宅資料室を整理していたところ譜面が発見されたことから、舘ひろしの歌唱とによるアレンジで初めてレコーディングが行われ、3月にその存在が公表され、石原プロモーションのサイトで期間限定で公開されている。 所属俳優 [ ] 一般に「 石原軍団」の愛称で親しまれている。 (1971年 - )• (1973年 - )• (1983年 - )• 「 石原プロNEXT GENERATION」• 過去の所属俳優・歌手 [ ]• (創設者)• 小高雄二• (石原裕次郎の甥、1982年 - 1989年)• (1976年 - 2000年)• (現・谷川竜太郎)• (現・青木カレン)• (現・渡辺邦斗)• 草野航大 過去の所属スタッフ [ ]• (プロデューサー・元専務)• (プロデューサー)• (プロデューサー・元専務取締役・取締役)• (プロデューサー・元常務取締役)• (プロデューサー)• (プロデューサー)• (プロデューサー・現:{系列会社})• (プロデューサー・現:事務所秘書)• (プロデューサー)• (プロデューサー)• (助監督)• (演出家)• (撮影技師)• (撮影技師)• (照明技師)• (照明技師)• (照明技師)• (編集技師) 会社概要 [ ] 役員 [ ]• 代表取締役会長:石原まき子• 相談取締役:渡瀬道彦(渡哲也)• 専務取締役:浅野謙治郎• 映像版権取締役:佐藤泰博• 芸能部取締役:小嶋克巳• 制作事業部取締役:古賀正行• 映像制作部取締役:椎野茂• 経理部取締役:小林聖 元役員 [ ]• 元代表取締役社長(初代)兼会長:石原裕次郎• 元代表取締役社長(2代目):渡瀬道彦• 元代表取締役専務:小林正彦• 元代表取締役常務:• 元常務取締役・常務執行役員:仲川幸夫• 元取締役:舘廣(舘ひろし)、神田正輝、福原昇• 水の江滝子• 浅丘ルリ子• 中井景 元専務• 元執行役員:阿部洵二郎• 元執行役員:小林聖 社歌 [ ]• 「」 作詞:、作曲: 作品 [ ] 映画 [ ]• (1963年、・石原プロ)原作:、監督: 石原プロ製作の劇場映画第1弾。 第18回、受賞。 (1964年、日活・石原プロ)• (1964年、日活・石原プロ)原作:石原慎太郎• (1965年、日活・石原プロ)• (1966年、日活・石原プロ)• (1966年、日活・石原プロ)• (1966年、日活・石原プロ)• (1968年、日活・・石原プロ・) を建設する男たちの試練を描いた映画。 石原はこのテレビドラマ版にも出演している。 (1969年、石原プロ・松竹)出演:、• (1969年、映配・石原プロ) のラリーカーで、で活躍する日本人ドライバーをテーマにしたとのタイアップ映画。 (1970年、日活・石原プロ)• (1970年、日活・石原プロ)主演:• (1970年、松竹映配・石原プロ)• (1970年、松竹映配・石原プロ)• (1971年、日活・石原プロ)• (1971年、松竹映配・石原プロ)• (1972年、・石原プロ)原作:、出演:浅丘ルリ子・• (1972年、東宝・石原プロ)原作:• (1972年、東宝・石原プロ)原作:さいとう・たかを• (1972年、東宝・石原プロ)石原裕次郎最後の主演作。 (1973年、東宝・石原プロ) 渡哲也主演の刑事アクション映画。 (1973年、東宝・石原プロ) 『ゴキブリ刑事』の続編。 (1993年、1994年、東宝・シネマジャック ほか) ショートフィルムのオムニバス作品。 一編を製作している。 (2018年、東映 ほか) 製作委員会参加。 長編映画への出資は『ザ・ゴキブリ』以来45年ぶりとなる。 テレビドラマ [ ]• (1969年 - 1969年、日本テレビ) 民芸映画社、萬年社共同制作• ( - 、) 日本テレビの下請けとして番組制作を担当。 シリーズ(日本テレビ) 本格的にテレビドラマの自社企画・制作に進出した最初の作品。 石原裕次郎自らが制作の陣頭指揮を執り、その後の同社におけるドラマ制作のノウハウがほぼ確立された。 (1976年 - 1976年)• ( - )• (1978年 - )• (1978年、テレビ朝日)• シリーズ(1979年 - 10月、) 前作「大都会 PART II」「- PART III」の設定をほぼ引き継ぎ、よりスケールアップさせた、同社にとっての代表作。 ( - 9月、テレビ朝日) 「西部警察」にて人気を得た舘を主演に据えた作品。 ウイングルーフのトラックで出張演奏する売れないバンドを描く。 (、テレビ朝日) 渡哲也本格復帰記念ドラマスペシャル。 サブタイトルは「-石原裕次郎に捧ぐ- 妻よ娘よ、わが人生に悔いなし」• (1992年10月 - 3月、テレビ朝日)• テレビ朝日開局45周年記念作品・特別企画「」(、テレビ朝日) 20年ぶりの復活。 前年に完成していたが、撮影中の事故の影響により1年遅れで放映。 テレビ朝日開局45周年記念作品「」(2004年 - 、テレビ朝日)5夜連続放送 石原の兄・の小説をドラマ化した作品。 倉本聰ドラマスペシャル「」(9月24日 テレビ朝日)• 新春スペシャルドラマ「」(1月4日 - 1月5日 テレビ朝日)• (2007年10月 - 12月 テレビ朝日) 「愛しの刑事」以来、14年ぶりの連続ドラマで、初のホームドラマ制作。 (2008年11月15日 テレビ朝日) テレビ朝日開局50周年記念作品。 橋田壽賀子ドラマスペシャル「結婚」(2009年11月28日 テレビ朝日) 制作協力として制作に参加 ドキュメント・バラエティ [ ]• 両陣営の軍事演習の様子や兵器を収めたフィルム、関係者へのインタビューなどで構成。 『大都会PARTIII』以来、7年ぶりに日本テレビとの共同企画で製作された番組であり、放送前後には日テレ系各局にて『大都会』シリーズの再放送も行われた。 (、テレビ朝日) とのタイアップによる。 軍団出演のや再現VTRなどで構成された。 CM [ ]• (渡哲也)• (渡哲也・舘ひろし)• 現・、渡哲也・神田正輝・舘ひろし・深江卓次・渡邉邦門)• (舘ひろし)• 舘ひろし・徳重聡・金児憲史・宮下裕治) 関連企業 [ ] 公式サイト内では、系列会社として扱っている。 石原音楽出版社• 石原インターナショナル(2020年閉鎖 )• アイ・ピー・エフ(2019年石原プロと合併して消滅 )• 石原ミュージック(2019年閉鎖 )• また、系列会社ではないが、石原プロが設立に関わっている会社もある。 脚注 [ ] []• 2018年に公開された舘ひろしの主演映画『』には製作委員会の一つとして名を連ねている。 - 中日スポーツ・2011年5月12日• スポニチアネックス・2011年5月12日• チャンネル銀河「銀河ニュース」 2015年6月22日. 2015年6月24日閲覧。 映画ナタリー. ナターシャ. 2020年7月17日. 2020年7月17日閲覧。 日刊スポーツ. 2020年7月17日. 2020年7月17日閲覧。 国税庁法人番号公表サイト. 2020年7月17日閲覧。 2011年4月15日. 2011年4月19日閲覧。 ニッケンタイムズ 2011年04月18日• 日刊スポーツ新聞社 2011年9月7日• 日刊ゲンダイ 2018年8月16日• 例外的に『西部警察』シリーズは90年代後半からで頻繁に再放送が行われていた。 PR TIMES 2015年7月31日. 2016年1月3日閲覧。 2016年1月3日閲覧。 スポニチアネックス. 2015年7月31日. 2016年1月3日閲覧。 2015年8月31日. 2016年1月3日閲覧。 AV Watch 2015年12月16日. 2016年6月5日閲覧。 - サンケイスポーツ・2014年3月19日• 石原プロモーション• 2020年7月の解散報道では「社長」と報道されている。 2018年公開の舘ひろし主演映画「終わった人」では、石原プロの製作委員会参加における出資責任者(を務めた。 国税庁法人番号公表サイト. 2020年7月14日閲覧。 国税庁法人番号公表サイト. 2020年7月14日閲覧。 国税庁法人番号公表サイト. 2020年7月14日閲覧。 関連項目 [ ]• - 慎太郎をはじめとして、選挙の際にはしばしば石原軍団が応援を行なっている。 - 名称は「石原軍団」に因んでいる。 外部リンク [ ]• ishiharapro1 -•

次の